『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その9
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、春秋時代「春秋五覇の一人」と謳われた秦の王・穆公は、崩御の際、177人の臣下及び宮女などを道連れにした。
『黄鳥』は、勿論、英文にも翻訳されている。
英文への翻訳を知ることに因って、詩の理解が深まるのではないか、と思い、今回、調べてみた。
英国の東洋学者アーサー・ウェイリーは、数多くの日本やチャイナの名作を英訳してきたが、『黄鳥』も手掛けている。
彼は、その本文を次の様に英訳した。
「臨其穴 惴惴其慄」の箇所を「But as he drew near the tomb-hole His limbs shook with dread」
と訳した。
しかし、原文の「臨其穴 惴惴其慄」には、とくに「he」という主語によって限定されていない。
ここには、主人公の奄息、そして彼と同時に殉葬した百数十人をも指すことが可能である。
さらに、「But」によって、「それにしてもやはり普通の人間と同じ死に直面するとき、恐怖を感じるのだ」という理解に導いている。
と、札幌大学の張氏が指摘している。
これでは、詩の表面だけを読んだもので、薄っぺらい。
慥かに奄息が怯えている様にも解釈できる。
しかし、眼光紙背に徹すれば、「作者が怯えたのであり、奄息の怖がらなかった勇気に驚嘆した」のだろうと、推測できる。
このアーサーの英訳を読むと、東洋と西洋の歴史や文化の違い、国語の違いに因り、解釈が異なることが見て取れる。
下手をすると、誤訳とも成り兼ねない。
ところが、現代チャイナの『詩経』研究者である袁梅が、アーサーと同様の解釈をしているのだ。
えっ!?
でしょう?
袁梅は、この条を現代語に次のように訳している。
誰が穆公と一緒に死んだのか。
子車奄息は生き埋めにされ殉死した。
蒼天よ!
なんて素晴しい人をこんな酷い目に遭わせたのか!
袁梅は、註釈で「人々は三良など百名十七人の無残な死を同情し、支配者の暴挙と残酷な殉死制度を憎しみ、
怒りを込めて人間を食うような奴隷制度社会を告発する。この詩はその怒りの告発書である。」
と決め付けているのだ。
なんと、現代チャイナの古代史の研究者ですよ~!!
な~んだ、本家チャイナでも何百年後の今に成って、解釈は一本化されていないんですねえ。
こうなると、アーサー・ウェイリーの解釈も一概に誤訳とは言えないではないか。
あはははは
と、笑うに笑えない。
さて、『黄鳥』を色々と探ってきましたが、私の手には負えませんでした。
友人曰く「迷走してる」。
あははは
畢竟、正しい解釈を求めるのは専門家に任せる方が良さそうですね。
それよりも、漢詩や史書を通して、歴史から教訓として何を学ぶか。
これが、一番大切なような気がします。
<完了>
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【解説】
今回の英訳の批評は、札幌大学の張偉雄氏の論文を参照したものです。
アーサーは『詩経』を「The Book of Songs」、『黄鳥』を「Kio sings the oriole」と英訳している。
【語彙説明】
○黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)
○穆公(ぼっこう) ・・・ 春秋時代の秦の君主は「公」と称した。他国なら「穆王」であろうか。