『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その4
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、春秋時代「春秋五覇の一人」と謳われた秦の王・穆公は、崩御の際、177人の臣下及び宮女などを道連れにした。
しかし、子車氏の三兄弟は、自らの意志で従った殉死ではないか、と前回書いた。
後世、この解釈をした上で、子車三兄弟を非難した識者が居た。
儒学者・呂祖謙である。
著作『東莱左氏博議』の中で、次の様に述べています。
三兄弟の殉死は、我が身を捨てた献身的な忠義の様に賛辞される。
しかし、殉死は、後々、自分の主君を「暗愚の王」と批判させる行為であり、三良ほどの者なら想像できた。
それと知りながら、なお、彼等は殉葬に従った。
命を惜しむ臆病者と謗られるのが嫌だったからである。
それは、私欲であり、我が身可愛さ故である。
それこそ本当の臆病者である。
とても献身的な忠義とは云えない。
本当の忠義心が有れば、臆病者呼ばわりを甘受し、穆公を諫めたであろう。
と、厳しい。
この意見を四つ目の解釈としますが、極々少数です。
面白いですねえ。
今日のあらゆる議論は、千年以上昔の域を超えていないんですね。
【閑話】
実は、私の友人に、この三兄弟を超える男が居ます。
臆病者呼ばわりを甘受してでも、君子を諫める男です。
凄いでしょう?
トンデモナイ男です。
今、病気療養中なのですが、私は、哀しんでも哀し足りない!
これで「黄鳥」の話は、一旦終了です。
「その5」以降もありますが補足です。ご興味のある方は、読んで頂ければ幸いです。
はじめに その1 その2 その3 その5 その6 その7 その8 その9
【語彙説明】
○黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)
○穆公(ぼっこう) ・・・ 春秋時代の秦の君主は「公」と称した。他国なら「穆王」であろうか。
○『東莱左氏博議』(とうらいさしはくぎ) ・・・ チャイナの史書。25巻。南宋の呂祖謙(号:東莱)撰。
西暦1168年成立とされる。『春秋左氏伝』の論評的注釈書で、文官試験の規範とされた。『東莱博議』とも。