『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その8 捕捉
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
戦国時代、どんなに戦況が悪くなろうが、どんなに賄賂や好条件を提示され様が、決して、主君を裏切らない。
これを「忠義」と呼び、理解し易い例えだと思う。
忠義には、もう一つあって、主君の判断が誤っていると思えば、どんなに機嫌を損ねようが、反対する諫言である。
主君から見れば。
此奴は敵から賄賂を貰ってるんじゃないか?
あるいは、己の地位を守る一心で、詭弁を弄しているのか?
いや、いや、祖父の代からの臣下だ。私利私欲を超え、純粋に国を思っての進言に違いないのでは・・・
と疑心暗鬼に陥る。
忠臣は大奸に似たり。
諫言は裏切りの詭弁と紙一重。
主君は、どうやって、忠臣と奸臣を見分けるのか?
そのリトマス試験紙の一つが、
「お前は、私が死ぬとき、共に死ぬ覚悟はあるか?」
「その覚悟があって反対しているのか?」
の問いである。
そう問われれば、死ぬ覚悟がある、と返答せざるを得ない。
主君に対して、色々と提案したり反論したりする。
それは、忠義からである。
その心の証が、殉死。
追記:戦場の最前線で闘う兵士たちは、出陣式で毎回誓紙を出している様なものなのだ。
第四の解釈「三兄弟の殉死は、本当の忠義心ではない。臆病者と謗られるのを恐れたからだ。」
とする呂祖謙の意見があった。
本当に面白い考えだ。
自分の命を賭する殉死の誓いは、一見、大変な勇気に映る。
しかし、後々の主君の名声を考えれば殉死を拒否するのが、本当の勇気だ、と言うのだ。
前者は、崖から飛び降りる勇気。
真似し易い。
しかし、後者の勇気は、臥薪嘗胆、泰然自若の相当に強い精神力がないと出来得ない勇気。
中々、真似できない。
さあ、貴方なら、どっちの勇気を選択しますか?
【追記】
忠義とは、戦国時代に化石化、消滅した精神かと思っていたが、現代社会にも生存しているんですね。
今、病気療養中の友人は、当にこの後者の勇気を持つ男です。
全ては、損得勘定で判断する現代ですが、畢竟、忠義が優ります。
但し、他人に理解して貰うには、何年もかかります。
もし、私が穆公に会えたら、この友人を推薦しますね。
どんなことがあっても、100%裏切らない男です、と。
私は、こんな友人と出会えて、本当に幸せだと、感謝しています。
<その9へ続く>
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その9
【註解】
○忠義(ちゅうぎ) ・・・ 私欲をさしはさまないで、真心を尽くして主君や国家に仕えること。忠節。
「義」の意味は、儒教における五常と呼ばれる「仁・義・礼・智・信」の一つで、人の行うべき正しい筋道や、私欲を捨て公共のために行うことを指す。
【語彙説明】
○黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)