『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その6 捕捉
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
二つ目の解釈「支配者の暴挙だ。三兄弟の死は、穆公に責任あり」を補足します。
これは、穆公が臣下に強要したのだろう、と云う推測に成り立っています。
古代チャイナの王は、巨大な墳墓を造りました。
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そこには、数えきれない埋葬品と共に、殉葬者がいました。
古代チャイナの王は、墳墓の大きさと埋葬品の多さ、そして、殉葬者の数がイコール、自分の勲章だったからです。
墳墓は、王に就いたときから造営を開始します。
従って、墳墓の製作者は、王にインタビューし、専門家と共に設計する。
当然ながら、埋葬品と殉葬者の数も知らなければならない。
と、云うことは。
君主は、王に就いたときに、殉葬者の顔ぶれを決めている。
逆に言えば。
君主が墳墓の設計段階で、殉葬者をゼロにすることが可能であり、
君主が「お前ら絶対に俺を追って死ぬなよ!」と厳命すれば、済む話なんです。
よって、子車三兄弟の殉死は、穆公が王に就いたときから決められていた。
これは、穆公の暴挙であり、穆公の責任である。
以上が二つ目の解釈の背景です。
<その7に続く>
はじめに その1 その2 その3 その4 その5 その7 その8 その9
【解説】
<王陵遺跡>
王陵遺跡の東西の長さは450m、南北の広さは250m。
王陵が13箇所、殉葬の墓が2000箇所が発見され、祭祀、車と馬の坑も数え切れない。
中から青銅器、玉器、石器、陶器など宝物が数多く出土した。
王陵の多くは「亞」「中」「甲」という字の形をし、墓室の規模が大きくて立派。
面積が最も大きな王陵は1803平方メートルで、深さは15メートルもある。
出土した埋葬品は世界中でも比類なき綺麗さで、殉葬の人の数も非常に多い。
これが殷王朝の「王侯の身分の高さと尊厳が示されている」と云う評価になる。
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【語彙説明】
○黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)
○穆公(ぼっこう) ・・・ 春秋時代の秦の君主は「公」と称した。他国なら「穆王」であろうか。