『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その3
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、春秋時代「春秋五覇の一人」と謳われた秦の王・穆公は、崩御の際、177人の臣下及び宮女などを道連れにした。
しかし、子車氏の三兄弟は、自らの意志で従ったのではないか、と前回書いた。
後世、この解釈に感銘を受けたのが、詩聖・曹植(魏の曹操の息子)である。
彼は、子車三兄弟を忠臣であると、褒め讃えている。
誰に強制されたのでもなく、恩義を受け、敬する穆公と、死を共にし、あの世でも、お仕えしたい。
と云う姿勢、考えは、将しく忠義である、と。
三兄弟、自らの意志で死んだのだ。
天に責任があるのでもなく、穆公に責任があるのでもない。
よって、可哀想だと同情する必要もなく、穆公を憎むのはお門違いではないか。
あら、あら、三つ目の解釈ですね。これは。
三兄弟の死は自らの意志であり、それは美しく、その忠義心を讃えるべきだ、とするもの。
則ち、殉死を美徳とする考え方である。
但し、曹植の場合、鵜呑みには出来ない。長男・曹丕から命を狙われる身だからだ。
曹植は、決して二心は無く、亡父・曹操を慕う、純粋な気持ちしか持ち合わせていない、と、赦しを請う意図があった。
<その4へ続く>
はじめに その1 その2 その4 その5 その6 その7 その8 その9
黄鳥 第三章
【原文3】
交交黃鳥 止于楚
誰從穆公 子車鍼虎
維此鍼虎 百夫之禦
臨其穴 惴惴其慄
彼蒼者天 殲我良人
如可贖兮 人百其身
【読み下し文3】
交交たる黃鳥は、楚そに止る
誰が穆公に從う 子車鍼虎
維れ此の鍼虎は、百夫の禦
其の穴に臨めば 惴惴として其れ慄る
彼の蒼たる者は天 我が良人を殲せり
如し贖う可くんば 人 其身を百にせん
【現代語訳3】
飛び交いて鳴く黄鳥(ウグイス)は、楚の木にとまる。
穆公に殉じて死んだ者は誰? 子車氏の鍼虎だ。
この鍼虎は、百人にもあたる秀れた人。
今その墓穴に臨めば、ぞっとして慄れる。
ああ、あの蒼空よ、こんな善い人を殺すとは?!
若し身代わりができるなら、百のその身も惜しむまいに。
【語彙説明】
〇黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)
〇穆公(ぼっこう) ・・・ 春秋時代の秦の君主は「公」と称した。他国なら「穆王」であろうか。
〇鍼虎(けんこ) ・・・ 子車氏の三兄弟の一人。読み方は「けんこ」「かんこ」と両方あるが、『漢詩大系 第一巻 詩経 上』(集英社)に従って「けんこ」とした。