『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう)  その7 捕捉


 ~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~


【還暦ジジイの説明】

第三の解釈「三兄弟の死は美しく、その忠義心を讃えるべきだ」とする、則ち、殉死を美徳とする考え方を補足します。


李白は『洞庭湖に遊ぶ』の詩で、殉死を美化している。

舜帝が崩御した後、悲しみの余り、湘君(しょうくん)と呼ばれる二妃(にき)が湖に身を投げた逸話に触れているのだ。(註)


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湖で入水(じゅすい)したと云うことは、舜帝は、二妃を殉葬者に加えていなかったのだ。

よって、二妃が舜帝の後を追ったのは、本当に純粋な気持ちだったのだろう。


あの世でも、愛して貰いたいと云う女心なのか。

または、あの世でも、舜帝に仕えたいと云う忠義心なのか。


李白はチャイナ詩歌史上、杜甫と並んで最高の詩人と(あが)められた人。

  今の日本で譬えれば。

  国立大学の有名な教授など、世論に大きな影響を与える人ですね。

  或いは、歌謡界で云えば、阿久悠、宇崎竜童、フォーク界の井上陽水、吉田拓郎など。古いか?(笑)


そんな有名な詩人が、殉死を尊いものと、美化してしているのだ。


しかし、私にはちょっと納得がいかない。

他人と死を共にすると言えば、今の時代「心中」が思い浮かぶ。

愛し合っている男女が共に命を断つ。

それから想像すると、殉死で妻妾(さいしょう)たちが、王の後を追うのは腑に落ちたとします。

だが、臣下の男性が王の後を追うことが、どうして忠義なのでしょうか?

何故、褒められるのでしょうか?

どこが、美しいのでしょうか?

私には、さっぱり理解できません。


この忠義の心境は、我々には永遠に腑に落ちないかも知れません。



  <その8へ続く>


  はじめに  その1  その2  その3  その4  その5  その6  その8  その9


【註解】

○堯(ぎょう)と舜(しゅん)・・・孔子が見倣うべきと称賛した君主。

 孔子は、武力で統治する「覇道」を否定し、仁徳でもって統治する「王道」を説いた。

 そのお手本となるのが堯・舜・禹(う)の三人の帝王である。


○湘君(しょうくん)・・・紀元前三千年頃、帝王(ぎょう)の二人の娘、姉・娥皇(がこう)と妹・女英(じょえい)は、共に舜帝に()した。

 舜帝が国内巡視中蒼梧(そごう)で没すると二妃(にき)とも、悲しみの余り湘水(しょうすい)に身を投げた。

 以後、二人を「湘君」と呼び「湘水の神」として(あが)めるようになった。また洞庭湖(どうていこ)の水神でもある。

 洞庭湖北西端の君山(くんざん)に湘君の(ほこら)がある。


○湘水(しょうすい)・・・湘江(しょうこう)の異称。湖南省にある。

○君山(くんざん)・・・チャイナ湖南省岳陽県西南、洞庭湖中にある山。湘君の廟や崇勝寺などがある。


 



【語彙説明】

〇黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)

 


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