『詩経』 秦風 黄鳥(しきょう しんぷう こうちょう) その2
~ チャイナ古代の殉死に見る空気(風潮) ~
【還暦ジジイの説明】
チャイナ、春秋時代「春秋五覇の一人」と謳われた秦の王・穆公は、崩御に際して、177人の臣下及び宮女などを道連れにした。
殉死は支配者の暴挙ではないか、と云う解釈は、我々現代人にも納得できる、と前回書いた。
ところが、『史記』「秦本紀」を読むと雰囲気が異なる。
「秦の穆公が群臣と宴し、酒酣にして曰く、生きてこの楽しみを共にす。
死して此の哀しみを共にせんかと。
これに於いて奄息、仲行、鍼虎許諾す。公薨ずるに及び、皆死に従う。」
と、書かれている。
要するに、
酒宴の席で穆公は、「今生、楽しいであろう?では、私が死ぬときも、共に出来るか?」と皆に問うと、
奄息、仲行、鍼虎の三兄弟は、自ら従いますと誓い。その場に居た者全て、唯々として同調した。
と云うことである。
こうなると、趣が大いに異なる。
三兄弟だけでなく、百数十人の大半は、自らの意志で死を選んだのではないか。
<その3へ続く>
はじめに その1 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9
黄鳥 第二章
【原文2】
交交黃鳥 止于桑
誰從穆公 子車仲行
維此仲行 百夫之防
臨其穴 惴惴其慄
彼蒼者天 殲我良人
如可贖兮 人百其身
【読み下し文2】
交交たる黃鳥は、桑に止る
誰が穆公に從う 子車仲行
維れ此の仲行は、百夫の防
其の穴に臨めば 惴惴として其れ慄る
彼の蒼たる者は天 我が良人を殲せり
如し贖う可くんば 人 其身を百にせん
【現代語訳2】
飛び交いて鳴く黄鳥(ウグイス)は、桑の木にとまる。
穆公に殉じて死んだ者は誰? 子車氏の仲行だ。
この仲行は、百人にもあたる傑れた人。
今その墓穴に臨めば、ぞっとして慄れる。
ああ、あの蒼空よ、こんな善い人を殺すとは?!
若し身代わりができるなら、百のその身も惜しむまいに。
【語彙説明】
○黄鳥(こうちょう) ・・・ コウライウグイス(高麗鶯)
○穆公 ・・・ 春秋時代の秦の君主は、「公」と称した。他国なら「穆王」であろう。
○酒(さけ)酣(たけなわ)にして ・・・ 酒を飲んで楽しんでいる真っ盛り。宴も酣(たけなわ)のとき。
○今生(こんじょう) ・・・ この世に生きている間。この世。現世。
○鍼虎(けんこ) ・・・ 子車氏の三兄弟の一人。読み方は「けんこ」「かんこ」と両方あるが、『漢詩大系 第一巻 詩経 上』(集英社)に従って「けんこ」とした。