離騒(りそう)    作:屈原(くつげん)


【還暦ジジイの感想】


 屈原という人物は、諫言(かんげん)の士として名高いのだが、私には、風呂の中の何とか、厭世的(えんせいてき)な根性なし、としか映らなかった。

 『漁父辞(ぎょほのじ)』の印象なんですね。

 ところが、この『離騒』を読むと、印象が一変しました。

 考えてみたら、『漁父辞』は屈原が六十歳を超えた晩年の作。

 対して、『離騒』は三十歳頃の意気盛んな時だったんですね。

 なるほどねー

 作者がどんな境遇、どんな時代背景だったか、に因って、作品の印象は変るんですね。


【あらすじ】


 この詩は、名を正則(せいそく)(あざな)霊均(れいきん)という人物の一人称によって記述されます。


 霊均は自分が顓頊(せんぎょく)の子孫であり、寅年寅月寅日の生まれであって優れた才能を持つことを誇る。

 幼少から正しく気高い精神を保って、美しい人(君主を指す)のために尽くそうとしたが、

その人は心変わりして自分を顧みない。

 自分は潔白な節操を捨てて、姦人(かんじん)どもと共に君に取り入ることが出来ない。

 そのために身の危険が迫るばかりである。

 女嬃(じょしゅ)(霊均の側近の女性の名)は彼の頑迷を(ののし)(いさ)める。


 しかし、彼は苦衷(くちゅう)重華(ちょうか)(帝舜の号)に訴えたところ、自説に自信を持つことが出来た。

 それで、神話伝説の世界に神遊した。

 霊均はそこでも神女を求めて得られぬことを悲しみ、哲王(てつおう)の悟らないのを嘆いた。


 その後、霊氛(れいふん)の占いや巫咸(ふかん)の言葉によって、他国に遠遊するのが良い、と勧められる。

 霊均は思い切って天空を駆け、四極(しきょく)に遊ぶのであるが、ふと下界の楚国を望んで去り難い懐郷(かいきょう)の念に堪えられなくなる。


 しかし最後には、国に人なく、自分を知る者がなく、共に善政を行うことができないので、

彭咸(ほうかん)(屈原が理想とする賢人)の居る所に、()ってしまおうと決心する。


【本文】

 『離騒』は三百九十三句から成る長篇作で、参照文献の『新釈漢文大系』は、それを十九段に分割している。

 今回は、前半の五段までを紹介しています。


   第一段  第二段  第三段  第四段  第五段


【参照文献】

 『新釈漢文大系』 第81巻  「文選(賦篇)下」   著者・高橋忠彦  発行・明治書院


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