離騒(りそう)  第一段     作:屈原


【還暦ジジイの説明】




【現代口語訳】


 離騷  作:屈原


  第一段

 古代の高揚帝(こうようてい)顓頊(せんぎょく)の血筋の末、わが()き父を伯庸(はくよう)という。

 寅歳の初春の歳星(さいせい)は、正しく寅の方角にある摂提格(せっていかく)をあらわし、庚寅(かのえのとら)()い日に私は生まれた。


 父は私の初めの様子をよく見て考え、はじめて私にめでたい名を下さった。

 私を名づけて正則(せいそく)といい、私を(あざな)して霊均(れいきん)といった。


 目もあやに、この(うる)わしい性質を私はすでにもっているのに、またその上に、善美な才能をそなえている。

 そして、香ばしい江離(こうり)辟芷(へきし)とを身にまとい、秋蘭(しゅうらん)をつないで帯び物として、かおり高く身を装うのである。


 こうしている間にも、水が流れ去っていくように時が過ぎ、急いでも追いつけないような気がして、

 年月が私を持ってくれないであろうと恐れるのであった。

 朝には岡の木蘭(もくらん)の花を摘み、夕べには中洲(なかす)の冬ごしの(みさお)変わらぬ(かん)ばしい莽草(しきそう)を取り、

 日夜に身を潔く保って、君の求めを待っているのに、日月はたちまちに流れて留まらず、春の秋とは代わるがわる行く。

 やがて、草木の落ちるのを思い、(うる)わしいかの人も年老いて時の間に合わないかも知れぬと心配である。


【原文】


 離騷  作:屈原


  第一段

 帝高陽之苗裔兮 朕皇考曰伯庸
 攝提貞於孟陬兮 惟庚寅吾以降

 皇覽揆餘於初度兮 肇錫餘以嘉名
 名餘曰正則兮  字餘曰靈均

 紛吾既有此内美兮 又重之以脩能
 扈江離與辟芷兮  紉秋蘭以爲佩

 汨餘若將不及兮 恐年歳之不吾與
 朝搴之木蘭兮 夕攬洲之宿莽

 日月忽其不淹兮 春與秋其代序
 惟草木之零落兮 恐美人之遲暮


【読み下し文】   註:歴史的かな遣い・正漢字で書いています。


 離騷  作:屈原


  第一段


 帝高陽の苗裔(べうえい)()皇考(くわうかう)伯庸(はくよう)()ふ。

 攝提孟陬(せつていまうすう)に貞しく、惟れ庚寅(かういん)吾以(われもつ)(くだ)れり。


 皇覽(ちちみ)()初度(しよど)(はか)り、(はじ)めて()(たま)ふに嘉名(かめい)(もつ)てす。

 ()(なづ)けて正則(せいそく)と曰ひ、()(あざな)して靈均(れいきん)と曰ふ。


 (ふん)として吾既(われすで)に此の内美(ないび)有り、又之(またこれ)(かさ)ぬるに脩能(しうたい)を以てす。

 江離(かうり)辟芷(へきし)とを扈り、秋蘭(しうらん)(つな)いて(もつ)(はい)()す。


 (いつ)として餘將(よまさ)に及ばざらんとするが(ごと)くし、年歳(ねんさい)(われ)(とも)にせざるを恐る。

 (あした)には岡(本当は「阝+比」)木蘭(もくらん)()り、(ゆふべ)には()宿莽(しゅくばう)()る。


 日月(じつげつ)(こつ)として其れ(とど)まらず、春と秋と()代序(だいじよ)す。

 草木(そうもく)落零(れいらく)(おも)ひ、美人の遲暮(ちぼ)(おそ)る。


【要約】

 霊均が世系の尊貴、生日の嘉祥、名字を述べ、素質のよい上に、才能があり、修養を重ねているけれども、

役立つ時が来ぬうちに、我がよき人の年老いてしまうことが心配であると嘆く。


【語彙説明】

〇高陽 ・・・ 五帝の第二、顓頊(せんぎょく)の称号。楚国の始祖・熊繹(ゆうえき)はその子孫。楚の武王熊通の子、瑕は屈邑に封ぜられ、屈氏となり、屈原はその子孫。楚の王族に属する。

〇苗裔 ・・・ 遠い子孫。苗はなえ、裔は衣の裾。

〇兮 ・・・ 音「ケイ」、古音は「ア」であったという。助字で『離騒』『九章』などでは無韻句末に置くが、時には韻字の下にも付ける。

また、『九歌』では句の中間に置く。句調を整える働きがある。

〇朕 ・・・ われ。音「チン」、古代には貴賤ともに用いた。天子の自称とさだめたのは、秦の始皇帝以後。

〇皇考 ・・・ 考は亡父、祖先。皇は高大の美称。

〇伯庸 ・・・ 霊均の父の(あざな)

〇摂提 ・・・ 摂提格の簡称。寅歳の異名。寅年とする。

〇貞 ・・・ 正しい。

〇孟陬 ・・・ 孟は初め、陬は正月の別名。

〇庚寅 ・・・ かえのとらの日。寅年正月の寅の日の嘉い日に。

〇降 ・・・ 世に(くだ)り生れる。

〇皇 ・・・ 皇考の略。亡父の尊称。

〇覧 ・・・ 観察。

〇揆 ・・・ はかる。考える。

〇初度 ・・・ 生れた初めの年月日時の情形。天体の様子。

〇肇 ・・・ はじめて。

〇錫 ・・・ 賜に同じ。たまわる。

〇嘉名 ・・・ めでたい名。

〇正則 ・・・ 篇中の主人公の名。

〇霊均 ・・・ 正則、(あざな)霊均は、屈原の代弁者として『離騒』を()べる主人公。

〇紛 ・・・ 美しく盛んな形容。目もあやなさま。

〇内美 ・・・ 身中の美、よい性質。

〇脩能 ・・・ 善美な才能。脩は修に同じ、美しい。よい。能は音タイ、耐に同じ。能力の意味。

〇扈 ・・・ 音コ、被る。披(身にまとう)の義。楚の方言。

〇江離 ・・・ 江中に生ずる香草の名。おんなかずら、せんきゅうの類。

〇辟芷 ・・・ 辟は僻、草深い所に生ずるという意味。芷は香草、白芷・白茝とも書く。よろいぐさ。

〇紉 ・・・ 貫きつづる。つなぐ。

〇秋蘭 ・・・ 香草、ふじばかま。秋に淡紫色の花が咲く。

〇佩 ・・・ おびもの。腰飾り。香りのよい物を身のおびて、不詳をはらい、悪濁の気を防ぐ。

〇汨 ・・・ 音イツ。水流の速いさま。南楚の方言。

〇若将不及 ・・・ 過ぎゆく時を追いかけても間に合わないようで気があせる。

〇不吾与 ・・・ 「吾と相待たず」の意味。

〇搴 ・・・ 音ケン。抜き取る。南楚の方言。

 ・・・ 原文は「阝+比」の漢字だが、辞書にないので画像で示します。意味はおか。岡と同じ。

 

〇木蘭 ・・・ 香木、辛夷、こぶし。木蓮のこと。

〇攬 ・・・ 採る。

〇洲 ・・・ 川の中島。中洲。

〇宿莽 ・・・ 冬ごしの芥草。節操の変らないことを意味する。

〇忽 ・・・ 音コツ、すみやか。

〇淹 ・・・ とどまる。久しくなる。

〇代序 ・・・ 代わるがわるに次ぐ。序は相次いで行く。

〇惟 ・・・ 思う。思惟する。

〇零落 ・・・ 草木の葉が落ちる。草には零、木には落という。

〇美人 ・・・ 美しい人。君王(懐王)を指す。


【参考文献】

 『新釈漢文大系』 第81巻  「文選(賦篇)下」   著者・高橋忠彦  発行・明治書院


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