― 観る将ファンの為に ―
第8局 なぜ豊島は6連勝できたのか?
藤井聡太君が、豊島将之・竜王から竜王位を奪取して、史上最年少の四冠となりました。
豊島は、敗れて無冠となってしまった。
厳しい現実ですが、これが勝負の世界。
しかし、豊島は、今年1月時点では、聡太君に対して、6勝0敗と、圧倒していました。
棋界の七不思議とまでは言わないが、皆、疑問に思っていました。
豊島ファンは憤慨でしょうが、しぜんの疑問なのです。(詳しくは下記)
なぜ、豊島は聡太君に6連勝できたのか?
その理由は。
聡太君が未だ四段になる前から、豊島はライバル視どころか、敵視に近い心境だった。
では、なぜ、敵視に近い心境にまで至ったのか?
第一番目は、同じ愛知県出身だからです。
愛知県は、聡太君ブームで豊島を忘れていた。
二番目に、聡太君が直ぐ下の世代の天才だからです。
天才は天才に嫉妬する。
若い頃の谷川浩司と羽生善治と同じ。二人はタイトル戦の前夜祭で目も合わせなかった。
三番目が、後輩に追い抜かれたら、二度と抜き返せない、と云う焦燥感に苛まれたからです。
これは、未だタイトルすら取っていなかったときの羽生善治19歳ですら、同じ心境を語っている。
怖いのは、先輩や同輩ではない、まだ見ぬ後輩だ。だから努力するのだ、と。
この考えを聞いた故・米長邦雄永世棋聖は、痛く感動したと綴っている。
豊島の胸には、燃えるような闘争心がグツグツと
恐らく、豊島は、棋士の中で一番聡太君の研究をしていた、と言って過言ではない。
だから、6連勝できたのです。
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この聡太君に対する姿勢は、どの棋士も同じじゃあないのか?
そうではない。
例えば、渡辺明・名人。
聡太君が奨励会当時、若干12歳で詰将棋解答選手権に優勝した。若手棋士の間で戦慄が走った。
しかし、渡辺名人は、
「未だ三段にも成っていない少年のことなんか心配したってしょうがないだろ」
と一顧だにしなかった。
永瀬拓矢・王座は、非常に興味を抱いていて、『炎の七番勝負』で対局して以来、聡太君を誘って勉強会を開いている。
将棋界の三強と呼ばれる渡辺、豊島、永瀬。
考え方は、三者三様なところが面白い。
【四強の実力関係】
将棋界の今年(令和3年)5月時点。
タイトル保持者は、
豊島 竜王・叡王、
渡辺 名人・王将・棋王、
藤井 王位・棋聖、
永瀬 王座
の4人で、四強と呼ばれていた。
藤井聡太君を除く、3人の実力関係は、僅差だが、
渡辺 > 豊島 > 永瀬
で、渡辺が実力ナンバーワンと目されていた。
この渡辺に対して、聡太君は、昨年3勝1敗で棋聖を奪取し、朝日杯でも2度勝っている。
また、一昨年、豊島王位(当時)から木村一基九段が最終局で王位を奪取した。(4勝3敗)
その木村王位(当時)から昨年、聡太君は4連勝で奪取しているのだ。
と、なると、
藤井 > 木村 > 豊島
の図式に成らざるを得ない。
6連敗は、信じられない、不思議だ、と思うのが常識だ。
3勝3敗の五分と云うのなら、まだ、解る。
【解説】
一顧(いっこ)だにしない ・・・ わずかに振り返ってみることもしない。まったく顧みない。顧慮しない。歯牙にも掛けない。
一顧の価値もないことを「一顧だに値しない」とも言う。