将棋の話― 観る将ファンの為に ―


  第6局 杉本師匠は世界一



 3年前(令和元年、2018年)聡太君と師匠の杉本昌隆七段が、イベントで神戸を訪れ、その様子をテレビが追っていた。

 インタビュアーが「 師匠にどんなことを教わったか? 」と、聡太君に訊ねた。

 返答に困っている聡太君に

 「 何も教えてないな(笑) 」

 と、師匠は助け舟を出した。




  神戸のイベントで。2018年5月  (左)藤井聡太君   (右)師匠・杉本昌隆七段


 茶の間の皆さんは、

 頼りなく役に立たない師匠だなあ

 と云う印象を抱いたかも知れない。

 とんでもない誤解ですよ。

 プロ棋士がアマに指導対局すれば「ここはこう指すべき。これが悪手。これは好手」と指摘する。

 師匠が弟子と指すときも、駒落ち対局なら同じ。

 杉本七段も、過去そうしてきた。

 ただ、聡太君に限ってだけ、駒落ち対局当時から「自由にさせた」と述懐している。

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 野球界の有名な話。

 イチローがオリックスに入団した頃、ファームで首位打者だったにも拘らず、一軍に上げて貰えなかった。

 何故か?

 イチローの打撃理論が、過去の常識を覆すものだったからだ。

 コーチや監督は、言う通りにしないイチローにお仕置きをしたのだ。

 仰木彬監督に交代して、事態は一変した。


 では、仰木監督の前の首脳陣は馬鹿だったのか?

 否。

 監督やコーチになる人は、それなりに過去実績を残してきた一流選手。

 唯一異なった点は、イチローが百年に一人の天才だったこと

 他の選手だったら、何ら問題はなかったのだ。

 我々一般社会であれば、見習っていいくらいの首脳陣だ。


 最近では、王貞治会長(福岡ソフトバンクホークス会長兼GM)が、「〇〇は、指導するな」と厳命したらしい。

 〇〇とは、ソフトバンクホークスの選手で、上林誠知選手ではないか、と思う。

 恐らく抜きん出た打者の素質を具えていたのだろう。


 要するに、並みの一流選手なら、今までの常識で教えて構わない。

 しかし、超一流、何十年に一人の天才の場合、下手に教えてはならない。

 天才か、一流か、選手の素質を見抜く。

 それが、超一流の指導者かどうかの分水嶺(ぶんすいれい)


 そう、コーチと云う仕事を球団から拝命しながら、指導してはいけないのだ。

 天才を前にすると、矛盾するのである。


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 師匠でありながら、「 何も教えていないな(笑) 」。

 事情を知らない世間は「 師匠の存在意義ないじゃん! 」と嘲笑しかねない。

 誤解である。

 かと言って、一切助言も何もしていないか、と云うとそうではない。

 三段になったとき、四段になるまで、詰将棋の創作を禁じた。

 これについては、谷川浩司九段に相談している。

 的確でなければいけないのだ。

 ここが、杉本七段の凄いところ。

 杉本七段は、聡太君にとって、最高の師匠なのである。

 今の聡太君があるのは、杉本七段あってのことなのである。

 当の聡太君?

 残念ながら、いくら天才でも、師匠の気持ちや考えが解ろう筈がない。

 師匠と同じ年齢を迎え、弟子を持って初めて知ることだ。

 だから、インタビューの返答に窮した。


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 うん?

 何故、杉本七段は、その背景を説明しないのか、って?

 あはははは

 杉本七段は、きっと、こう答えるでしょう。

 「こんなに脚光を浴びるなんて、私の人生でなかった。聡太君に感謝しています。」

 どこまでも、糟糠之妻(そうこうのつま)を演じるのである。

 全く他人事ながら、私は涙を禁じ得ない。

 私が聡太君の師匠なら、

 「今の聡太君は、私が居ればこそ!私のお陰です!」

 と、叫びまくっている。

 あっははは


【解説】    令和3年(2021年)4月17日現在

杉本昌隆 八段(すぎもと まさたか) 将棋棋士

  昭和43年(1968年)11月13日生。現在52歳。愛知県名古屋市出身。

  師匠:(故)板谷進九段

  四段昇段:平成2年(1990年)10月1日

  藤井聡太四段の師匠として注目を浴びている。


○聡太君・・・将棋棋士・藤井聡太 王位・棋聖のこと。

 藤井聡太(ふじい そうた)のプロフィール。(詳細 wikipedia

  平成28年(2016年)に史上最年少(14歳2か月)で四段昇段(プロ入り)を果たす。
  四段デビューから無敗で公式戦最多連勝記録(29連勝)を樹立。
  平成29年度(2017年度)、全棋士参加の一般棋戦「第11回 朝日杯」で史上最年少優勝。

  15歳9か月で最年少七段に昇段。
  令和2年度(2020年度)タイトルの棋聖位を史上最年少で奪取。
   さらに勢いに乗って王位のタイトルも獲得。
   タイトル2期獲得の規程により18歳1か月、史上最年少の八段昇段を果たした。

  竜王戦は、第30期6組から参加して、ランキング戦に措いては未だ無敗(通算24戦24勝0敗)。
  毎年、優勝し昇級。竜王位を奪取しない限り、来期(第35期)は1組で戦う。

  順位戦は、第76期C級2組から参加して、C級1組の1期目で1敗したものの、B級2組終了時点で、
  通算30戦29勝1敗。来期(第80期)はB級1組で戦う。

  彼は、デビュー前からプロ棋士間で話題になっていた。
  それは、名うてのプロ棋士も参加する「詰将棋解答選手権」に措いて、全問正解で史上最年少優勝を記録したからだ。
  (平成27年(2015年)、第12回大会、小学校6年生、12歳)


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