文選「月賦」(もんぜん つきのふ)
【還暦ジジイの説明】
「緑苔閣に生ひ、芳塵榭に凝もる」の条が『下谷叢話』にあり、この「月賦」に辿り着いた。
「殿閣には緑の苔が生じ、楼台は芳しい塵が積もってきた」と、現代口語で読む。
殿閣とは、宮殿のこと。楼台とは、高い建物のこと。
「親友を失い悲嘆に暮れ、無為な日を過ごした。気付くと、宮殿には、苔が生え塵が積もっていた」と言う意味で、深い悲しみを表現している。
【現代口語訳】
陳王曹植は、最近応瑒と劉楨を失い、憂いに沈んで無為に日を過ごしていた。
殿閣には緑の苔が生じ、楼台は芳しい塵が積もってきた。
王は憂いに心を痛め、夜半には悲しみに沈むのであった。
ある日王は、蘭の茂る道、桂の並ぶ苑を掃き清めさせ、寒々しい山で笛を吹かせ、秋の坂にゆっくりと車を進めさせた。
深い谷から遥かに流れる川を臨むにつけ、高い峰から遠く広がる大地を眺めるにつけ、
帰らない故人との隔たりに心を痛めるのであった。
おりしも銀河は東の空を斜めに横切り、虚宿が南に位置していた。
露が朧となって空に満ち、白く輝く月が天を動いて行く。
王は斉風の「東方之日」を低く吟じ、陳風の「月出」を繰り返した。
筆を抜き取り、礼を差し出し、王粲に向かい、文章を作るよう命じた。
王粲はひざまずき、「私は東国の出の田舎者で、田園の内に育ちました。
道理や学問に暗いにもかかわらず、命を下されるとは恐れ多く、有難いことです」と述べた。
【原文】
『文選』「月賦」 謝希逸
陳王初喪應劉、端憂多暇。緑苔生閣、芳塵凝榭。
悄焉疚懷、不怡中夜。廼清蘭路、肅桂苑。
騰吹寒山、弭蓋秋阪。臨濬壑而怨遙、登祟岫而傷遠。
于時斜漢左界、北陸南躔。白露瞹空、素月流天。
沈吟齊章、殷勤陳篇。抽毫進牘、以命仲宣。
仲宣跪而稱曰、臣東鄙幽介、長自丘樊。
昧道懜學、孤奉明恩。
【書き下し文】
『文選』「月賦」 謝希逸
陳王初めて應劉を喪ひ、端憂して暇多し。緑苔閣に生ひ、芳塵榭に凝もる。
悄焉として懷ひに疚み、中夜に怡ばず。廼ち蘭路を清め、桂苑を肅かにす。
吹を寒山に騰げ、蓋を秋阪に弭む。濬壑に臨みて遙かなることを怨み、祟岫に登りて遠きことを傷む。
時に斜漢左に界ひ、北陸南に躔る。白露空を瞹くし、素月天に流る。
齊章に沈吟し、陳篇に殷勤なり。毫を抽き牘を進め、以て仲宣に命ず。
仲宣跪きて稱して曰く、臣は東鄙の幽介にして、丘樊自り長る。
道に昧く學に懜くして、孤り明恩を奉ず。
【語彙説明】
〇殿閣(でんかく) ・・・ 宮殿と楼閣。宮殿。御殿
〇楼台(ろうだい) ・・・ 《古くは「ろうたい」とも》高い建物。また、あずまやなど、屋根のある建物。
〇建安七子(けんあん‐しちし) ・・・ チャイナ建安年間を代表する七人の文人。孔融・陳琳・王粲・徐幹・阮瑀・応瑒・劉楨のこと。
【プロフィール】
〇王粲(おうさん)
177~217年、チャイナ後漢から魏にかけての文人。
高平(山東省)の人。字は仲宣。博覧多識で知られる。
詩賦に長じ、建安七子の一人。「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」など。
【出典】
『新釈漢文大系』 第81巻 「文選(賦篇)下」 高橋忠彦・著 明治書院 平成13年7月25日 初版発行