漁父辞(ぎょほのじ)   作:屈原(くつげん)


【還暦ジジイの説明】


『漁父辞』は、楚辞(そじ)の諸篇の中でも最も有名なもので、司馬遷は、屈原(くつげん)の孤高を象徴する詩として引用している。

屈原は、春秋戦国時代の楚の政治家。諫言(かんげん)の士として有名。

秦の張儀(ちょうぎ)の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で(いさ)めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水した。


屈原は、入水する際に、見知らぬ漁師と語らうのだが、この漁師、ただの漁師ではない。

屈原の立場や心境を見抜いた仙人のような老父で、高度な会話を交わす。


私なんぞは、古代の漢人の中に、こんな老人が居るのかと舌を巻いたのだが、そんな馬鹿な話はない。

これは、古代の史家がよく使う手で、この漁師は、架空の人物である。

まあ、当然ですね(笑)


作中の屈原は、理想を求める自己で、孔子思想(儒家)に基づく。

漁師は、世間の中で生きていこうとする現実志向の自己老荘思想(道家)の考え方。

要するに、この対話は、屈原の心の葛藤の表現なのである。


【現代口語訳】


 屈原は、追放されて湘江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで歌を口ずさんでいました。

 顔はやつれて、その姿は痩せ衰えています。


 ある年老いた漁師が彼に尋ねました。

 「あなたは三閭大夫さまではありませんか。どうしてこんな(落ちぶれた)お姿になってしまわれたのですか」


 屈原は答えました。

 「世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。」


 漁師は言いました。

 「聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。

 世の中の人々(の心)が濁っているならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。

 人々が酔っているならば、どうしてその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。

 どういった理由で深く考え、お高くとまって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」


 屈原は答えました。

 「私はこういうことを聞いたことがあります。

 『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)汚れを払い、入浴したばかりの者は、必ず衣服の(ほこり)を振り払う』

 どうして清廉潔白なこの身に、(世俗の)汚れたものを受け入れることができましょうか、(いや)できません。

 むしろ湘江(しょうこう)に行って魚の(えさ)になろうとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中に(まみ)れされることができましょうか、(いや)できません。」


 漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。

 そしてそのとき、次のような歌を詠んだ。


  滄浪(そうろう)の水が澄んでいるのなら、私の(かんむり)(ひも)を洗おう。

  滄浪の水が(にご)っているのなら、私の足を洗おう。


 とうとうそのまま去ってしまい、二人はもう二度と語り合うことなかった。


【原文】


 漁父(ぎょほ)()    作・屈原(くつげん)


 屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。

 顔色憔悴、形容枯槁。


 漁父見而問之曰、

 「子非三閭大夫与。何故至於斯。」


 屈原曰、「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」


 漁父曰、「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。

 衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」


 屈原曰、「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。

 寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」


 漁父莞爾而笑、鼓枻而去。

 乃歌曰、

 滄浪之水清兮 可以濯吾纓
 滄浪之水濁兮 可以濯吾足

 遂去、不復与言。


【書き下し文】


 屈原すでに放たれて、江潭に游び、(ゆくゆ)沢畔(たくはん)に吟ず。

 顔色憔悴(しょうすい)し、形容枯槁(こうこう)せり。


 漁父見て之に問うて曰く、

 「子は三閭大夫(さんりょうたいふ)に非ずや。何の故に(これ)に至れる。」


 屈原曰く、

  「世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。」

 漁父曰く、

  「聖人は物に凝滞(ぎょうたい)せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を(にご)して、
  其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の(かす)(くら)ひて、其の(しる)(すす)らざる。
  何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たれしむるを為すや。」


 屈原曰く、

  「吾之を聞けり。『新たに(もく)する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振ふ。』

 安くんぞ能く身の察察たるを以て、物の汶汶(もんもん)たるを受くる者ならんや。

 寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬らるとも、安くんぞ能く晧晧(こうこう)の白きを以て而も世俗の塵埃を(こうむ)らんや。」


 漁父莞爾(かんじ)として笑ひ、(えい)を鼓して去る。

 乃ち歌ひて曰く、

  滄浪の水清まば、以て吾が(えい)を濯ふべし。
  滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯ふべし。


 遂に去りて、復た与に言はず。


【語彙説明】


〇『楚辞』(そじ) ・・・ チャイナ戦国時代の楚地方に謡われた辞と呼ばれる形式の韻文、及びそれらを集めた詩集の名前。
 全17巻。その代表作として屈原の『離騒』が挙げられる。
 チャイナ北方の『詩経』に対して南方を代表する古典文学であり、共に後代の漢詩に流れていく源流の一つとされる。
 また漢代に全盛を誇る賦の淵源とされ、合わせて「辞賦」と言われる。(Wikipedia)

〇屈原(くつげん) ・・・ 春秋戦国時代の楚の政治家。諫言(かんげん)の士として有名。

〇江潭(こうたん) ・・・ チャイナ湖南省の川「湘江」を指す。またはただ「川の淵」と訳す場合もある。

〇沢畔(たくはん) ・・・ 沢のほとり。

〇枯槁(こうこう) ・・・ やせ衰えること。

〇漁父(ぎょほ) ・・・ 年をとった漁師。「父」を「ほ」と読むと老人を指す。

〇三閭大夫(さんりょたいふ) ・・・ 楚の3つの王族を取りまとめる長官。

〇斯(ここ) ・・・ 境遇・身上・姿。ただし、場所を指すという意見もある。

〇而 ・・・ 接続を表す置き字。

〇与 ・・・ 「や」と読み疑問を表す。

〇於 ・・・ 場所を表す置き字。

〇凝滞(ぎょうたい) ・・・ こだわる。とどこおる。

〇何不 ・・・ 「何ぞ~ざる」と読み、「どうして~しないのか」と訳す。

〇令 ・・・ 使役の助動詞「しむ」。

〇揚(あ)げ ・・・ にごった泥水をかきまわして波を高く上げる。

〇糟(かす) ・・・ 酒かす。

〇釃(しる) ・・・ 薄い酒。

〇沐(もく) ・・・ 頭から水をかぶる=髪を洗う。

〇察察(さつさつ) ・・・ 清らか。清潔。

〇汶汶(もんもん) ・・・ 汚れた様子。

〇湘流(しょうりゅう) ・・・ 湘江のこと。

〇晧晧(こうこう) ・・・ 真っ白なこと。

〇安~乎 ・・・ いずくんぞ~や」と読む。反語で、「どうして~か。いや~ではない」の意味。

〇莞爾(かんじ) ・・・ にっこりと笑うこと。

〇不復 ・・・ 「また~ず」と読む。部分否定で、「もう二度とは~しなかった」の意味。

〇枻(えい) ・・・ 「枻」は舵(かじ)や櫂(かい)のことを指す。しかし「枻を鼓す」というと「ふなばた(船の縁)をたたく」と訳す。

〇滄浪(そうろう) ・・・ 川の名前。漢水の下流の川。

〇兮 ・・・ 置き字。特に意味はないので出てきたときは読み飛ばす。

〇纓(えい) ・・・ 冠の後ろの部分にたれている飾りひもで、冠の一番大事な部分。


【人物プロフィール】


〇屈原(くつげん) ・・・ 紀元前340年1月21日頃~紀元前278年5月5日頃。62歳没。

 春秋戦国時代の楚の政治家。楚の王族のうちの一人。諫言(かんげん)の士として有名。

 詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。

 春秋戦国時代を代表する詩人としても有名である。
 中国において詩が作者名を伴って記録、記憶されるようになったのは、屈原が出現してからのことである。

 屈原は楚の武王の公子瑕(屈瑕)を祖とする公族の一人であり、父は屈伯庸、弟は屈遙、子の名は不詳。
 屈氏は景氏・昭氏と共に楚の公族系でも最高の名門の一つで、「三閭」と呼ばれた。
 家柄に加えて博聞強記で詩文にも非常に優れていたために懐王の信任が厚く、賓客を応接する左徒となった。


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