洪水天に滔る(こうずいてんにはびこる)  その1


 【還暦ジジイの説明】


 「洪水天に滔る」は、有名な故事の一文。

 「天に滔る」とは大袈裟な、と思うが、恐らく、現代の想像を超えるものだったのだろう。

 今の日本でも、台風に因る洪水で山村が大きな被害に遭う。

 その度に自然災害に対して、人間が如何に無力であるか、思い知らされる。


 堯帝(ぎょうてい)の時代、黄河の氾濫が止まなかった。

 古代チャイナでは、多くの人が住んでいたのは黄河や揚子江の流れる中原(ちゅうげん)である。

 梅雨の時季、現代の想像を遥かに超える台風が吹き荒れ、大雨を(もたら)したのだろう。

 ダムの(せき)を切ったような土石流が、中原の家屋や田畑を全て洗い流したに違いない。

 それが、毎年やって来た。

 天に滔っていた。


 堯は誰かに治水をさせようと考えていた。

 このとき皆が口をそろえて鯀にやらせるべきだと言ったが、堯は渋った。

 それでも臣下たちが鯀より賢い者はいないと言ったので、堯は鯀に治水を任せた。

 しかし、九年経っても成果が上がらなかった上に、帝の息壌(そくじょう)を盗んで洪水を(ふさ)いだので、帝の怒りを買った。

 結局、鯀は処刑され、治水事業は失敗に終りました。


 【意訳】


 堯帝の時代、洪水が滔々と大地を襲い、溢れた水は山岳を囲むほどであった。

 丘陵は水没し、百姓は苦しんだ。

 堯は治水のできる人材を探し、群臣と四嶽(しがく)は皆鯀を推薦した。

 しかし、堯は、「鯀は命令に背き同族の名誉を傷つけたので用いることはできない。」といった。

 そこで四嶽は、「しかし、臣の中に鯀よりも有能な人材はいません。一度試してみてはいかがですか」と言った。

 堯はこれを聞いて四嶽の意見を採用し、治水に鯀を用いた。

 しかし、九年費やしても洪水の患は治まらず治水は終わらなかった。


 【原文】


  『史記』 五帝本紀 第一 堯帝

  〔第8段落〕


 堯曰、誰可順此事。放齊曰、嗣子丹朱開明。

 堯曰、吁、頑凶、不用。堯又曰、誰可者。

 讙兜曰、共工旁聚布功、可用。

 堯曰、共工善言、其用僻。似恭漫天。不可。

 堯又曰、嗟、四嶽、湯湯洪水滔天、浩浩懷山襄陵。

 下民其憂、有能使治者。

 皆曰、鯀可。堯曰、鯀負命毀族、不可。

 嶽曰、异哉、試不可用而已。

 堯於是聽嶽用鯀。九歳功用不成。


 【書き下し文】


  『史記』 五帝 本紀第一 堯帝

  〔第8段落〕


 堯曰く、誰か此の事に順う可き、と。 放斉(ほうせい)曰く、

 嗣子丹朱(ししたんしゅ)開明(かいめい)なり、と。

 堯曰く、(ああ)頑凶(がんきょう)なり、(もちい)られず、と。

 堯又曰く、誰か可なる者ぞ、と。 讙兜(かんとう)曰く、

 共工(きょうこう)(あまね)(あつ)めて(こう)()かん、(もち)()し、と。


 堯曰く、共工は()く言えども、()の用うるや(へき)す。

 (きょう)()たれども天を(あなど)る。 不可(ふか)なり、と。

 堯又曰く、(ああ)四岳(しがく)湯湯(しょうしょう)たる洪水天(こうずいてん)(はびこ)

 浩浩(こうこう)として山を(つつ)(おか)(のぼ)る。

 下民(かみん)其れ(うれ)う、()く治めしむる者有らんや、と。

 皆曰く、鯀可(こんか)なり、と。

 堯曰く、鯀は(めい)(そむ)(ぞく)(やぶ)る、不可(ふか)なり、と。

 岳曰く、(あげん)かな、(こころみ)て、(もち)()からずんば(すなわ)()めん、と。

 堯(ここ)(おい)(がく)(きき)て鯀を(もち)う。

 九歳(きゅうさい)まで功用(こうよう)()らず。


 【語彙説明】

〇息壌(そくじょう) ・・・ 自然に盛り上がってくる土。


【プロフィール】

〇堯帝(ぎょうてい) ・・・ 中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封じられたので陶唐氏(とうとうし)ともいう。後世、孔子により、お手本とする君主として聖人と崇められた。

〇鯀(こん) ・・・ 古代中国の伝説上の人物あるいは神。姓は姒(じ)、(いみな)は鯀。禹(う)の父であり、四罪(しざい)の一人に挙げられている。

 四罪(しざい) ・・・ 中国神話に登場する天下に害をなした四柱の悪神。

〇四嶽/四岳(しがく) ・・・ 1.古代中国で、諸山の鎮とした四方の山。東岳は泰山、西岳は華山、南岳は衡山、北岳は恒山。天子巡狩(じゅんしゅ)の際、その方面の諸侯を、この四岳の下で召見した。
2.古代中国で、堯帝の臣下で前述1.の方面の諸侯を統率した義仲、義和、和中、和叔の四人をいう。



 【出典】

 『新釈漢文大系』 第38巻 「史記 一 本紀 上」  吉田賢抗・著  明治書院

 『新釈漢文大系』 第25巻 「書経(上)」  加藤常賢・著  明治書院

  後世では『書経』(しょきょう)と呼ばれたが、昔は 『尚書』(しょうしょ)と呼ばれた。


 次の文   前の文      索引  TOP-s