上書して呉王を諫む(じょうしょして ごおう を いさむ)   作:枚乗(ばいじょう)


【還暦ジジイの説明】


 呉王・濞(ひ)は、景帝(けいてい)怨望(えんぼう)し、漢に(そむ)いて挙兵しようとした。

 それを諫めたのがこの文書。

 ある程度の地位に満足すりゃいいものを、欲にはキリがない。

 親兄弟親戚なんて関係ない。些細(ささい)なことでも許せなくなる。

 ウクライナへ侵攻したロシアのプーチン大統領も同じですね。

 今やもう、気が狂っているとしか言いようがない。

 枚乗や屈原みたいな側近が、プーチン大統領の周囲には居ないんですかねえ。

 と言うより、古今東西、耳に痛い奴は排除しちゃうんですね(涙)


 なお、この上申書の中に、「間不容髮」「危於累卵」「山霤穿石」「磨礱砥礪」などの四字熟語が引用されている。


【要約】


 呉王とは、高祖劉邦の兄・劉仲(りゅうちゅう)の子()をいう。

 枚乗は呉王・濞に書を奉って、挙兵を中止するようにと諫めた。

 枚乗は忠諫(ちゅうかん)する、

 「呉王は今、泰山の如き安泰の境地を捨てて、謀反という極めて危険な道を走ろうとなさっている。

 災いを免れるためには危険な状態を根本から早く脱出することが大切であり、呉を以て漢に背くのは国の存亡に関わって

必ず敗れる道です。

 たとえ、百発百中の弓の名人であっても、その射程はただの百歩を出ません。

 どうか、義を捨て理に背くようなことはなさらいで、謀反の計画を直ちに中止なさないように」

 と。


【現代口語訳】


 臣は、「君に仕えて、その礼を全うできる者は栄え、全うできない者は滅びる」と聞いております。

 (しゅん)(きり)を立てるほどの狹小(きょうしょう)な土地も持たずして天下を保ちましたし、

()は十戸ほどの村落も有せずして諸侯に王となりました。

 (いん)湯王(とうおう)(しゅう)武王(ぶおう)の領土もただの百里に過ぎないのに、上には日月星辰(じつげつせいしん)がその光を()たず、

下では人民の心を損ない(やぶ)ることがなかったのは、天下に王たる道が行われたからであります。

 (もと)より父子が尽くすべき慈孝(じこう)の道は、人の天性であります。

 君臣の関係も全く父子の場合と同様であり、子とも言うべき忠臣が君から思い(とが)を受けることも(かえり)みず、

率直に諫言(かんげん)するならば、政事(まつりごと)遺漏(いろう)なく、功績は万世(ばんせい)の後にまで伝わります。

 今、臣乗(しんじょう)は、心中の思いのたけを披瀝(ひれき)して、愚忠(ぐちゅう)を尽くしたいと存じます。

 どうか大王におかれては、臣乗の申し上げますことに少し哀れみのお心をお加え頂いて、お聴き届け下さいますように。


 そもそも一筋の糸の荷物として千鈞(せんきん)の重さの物を(つな)ぎ、これを上は限りなく高い所に引っ掛け、

下は限りなく深い淵に垂れ下げるならば、(はなは)だ愚かな人であっても、皆その糸が今にも断ち切られそうなのを恐れるはずです。

 馬が驚いて今にも暴れようとするとこに、音高く太鼓を打ち鳴らしてこれを驚かし、糸筋(いとすじ)が今にも断ち切れそうなときに、

もっと重たい物を重しとしてぶら下げようとする。

 これでは、糸が空中で切れるのは必至であって、そうなればもう二度と結ぶことは出来ないのです。

 深い淵に落ちてしまったならば、もう二度と出ることは難しいことです。

 それが出るか、出ないかは、一本の髪の毛を入れる隙間もないほど、差し迫った事態なのであります。

 ただ忠臣の(いさ)めの言葉をよく聴き入れるならば、何事においてもきっと禍を脱することができましょう。

 大王が必ずなさろうと思っておられることは、卵を積み重ねるよりも危険であり、天空に昇よりも困難なことであります。

 一方、なさりたいと想うことを変じて中止なさることは、(てのひら)を返すよりも容易なことであり、かの泰山よりも安泰であります。

 今、大王は天から授けられた最長の寿命を極められ、際限のない楽しみを尽くし、

兵車万乗(へいしゃばんじょう)を出すような国君としての権勢を強く求めておっられながら、なんと掌を返すような容易な方法を取らず、

泰山のように安泰なバイに場に居らないで、卵を積み重ねるような危険を冒し、

天空に昇っていくような困難に向って突っ走ろうとなさっています。

 これは、愚かな臣もどう判断してよいものか大いに惑うところであります。


 人の本性として、己の影を恐れ、己の足跡を(いと)い憎むことがあります。

 たとえ後ろ向きになって走っても、その足跡はいっそう多くなりますし、影はいっそう速く追いかけてきます。

 こんな時には、物陰に入ってじっと止まっているのに越したことはありません。

 また、人に知られたくなければ、初めからしないのに越したことはないのです。

 湯を冷まそうと願っても、一人が火を燃やしつけ、百人の者が火勢をあおぎたてれば、どうしようもありません。

 薪を燃やすのを中止して火を消してしますのが一番の方法なのです。

 災いの源を絶たないで、その源を救って災いを免れようとするのは、ちょうど薪を持って行って

火事を消そうとするのと同じであります。

 養由基は楚国の弓術を良くする者です。

 柳の木から百歩も離れていながら、その葉に矢を放って百発百中いたします。

 柳の葉ほどの大きさの物に百中するのは、優れた弓の名人と言うことができます。

 しかしながら、その矢の届く範囲はただ百歩の内だけです。

 この臣乗と比較しますと、養由基はまだ弓を操り、矢を手にする術を知らない者と言えます。


 幸福が生れるには必ずその根源がありますし、災害が起こるにも必ずその起源があります。

 その幸福の根源を受け入れ、災害の起源を断ち切るならば、災禍はいったいどこから起ることがありましょう。

 決して起ることはないのです。

 かの泰山の雨垂れは石を穿って穴を開け、とことん使い込まれ釣瓶縄は井戸の桁を断ち切ります。

 水は石に穴を開ける錐ではありませんし、縄は木を切る鋸でもありません。

 しかし、次第に擦り減らしていってこのようにしてしまうのです。

 そもそも一銖ずつ違ってきます。

 初めから一石で石の単位で量り、丈の単位で測るならば、手早く計算できて失敗もありません。

 また、十抱えもある大木であっても、生え始めたばかりのヒコバエですと、足で引っ搔いて絶ち切ることができますし、

手を動かして引き抜くこともできます。

 なぜなら、木がまだ生長していないときであり、大木の形をなさない前だからであります。

 砥石にかけて研ぎみがいたとき、その磨り減っていることは十分には分かりませんが、

しかし、時が経つとすっかり磨り減ってしまいます。

 樹木を植えたり家畜を養ったりしたときも、その大きく成長を続けていることは十分には分かりませんが、

時が経つと必ず大きくなっています。

 同様に、徳を積み善行を重ねたときも、その善なることは十分には分かりませんが、

時が経つと必ず人に知られて用いられるようになります。

 逆に、義を捨て理に背いたときは、その悪なることは十分には分かりませんが、

時が経つと必ず我が身を破滅させてしまいます。

 臣願わくは、どうか王はこのことを熟考なさって、自ら実践なさいますように。

 このことは百世にわたって不変の道理であります。


【原文】


  上書諫呉王    枚乘


 臣聞、得全者昌、失全者亡。

 舜無立錐之地、以有天下、禹無十戸之聚、以王諸侯。

 湯武之土、不過百里、上不絶三光之明、下不傷百姓之心者、有王術也。

 故父子之道、天性也。

 忠臣不避重誅、以置直諫、則事無遺策、功流萬世。

 臣乘願披心腹、而效愚忠。

 惟大王少加意念惻怛之心於臣乘言。


 夫以一縷之任、係千鈞之重、上懸之無極之高、下垂之不測之淵、雖甚愚之人、猶知哀其將絶也。

 馬方駭、鼓而驚之、係方絶、又重鎭之。

 係絶於天、不可復結。

 墜入深淵、難以復出。

 其出不出、間不容髮

 能聽忠臣之言、百擧必脱。

 必若所欲爲、危於累卵、難於上天。

 變所以欲爲、易於反掌、安於泰山。

 今欲極天命之上壽、敝無窮之樂、究萬乘之勢、不出反掌之易、居泰山之安、而欲乘累卵之危、走上天之難。

 此愚臣之所大惑也。


 人性有畏其影而惡其迹。

 却背而走、迹愈多、影愈疾。

 不如就陰而止。影滅迹絶。

 欲人勿聞、莫若勿言。

 欲人勿知、莫若勿爲。

 欲湯之滄、一人炊之、百人揚之、無益也。

 不如絶薪止火而已。

 不絶之於彼、而救之於此、譬猶抱薪而救火也。

 養由基楚之善射者。

 去楊葉百步、百發百中。

 楊葉之大、加百中焉、可謂善射矣。

 然其所止、乃百步之内耳。

 比於臣乘、未知操弓持矢也。


 福生有基、禍生有胎。

 納其基、絶其胎、禍何自來哉。

 泰山之霤穿石、殫極之䋁斷幹。

 水非石之纘、索非木之鋸。

 漸靡使之然也。

 夫銖銖而稱之、至石必差、寸寸而度之、至丈必過。

 石稱丈量、徑而寡失。

 夫十圍之木、始生而蘖、足可搔而絶、手可擢而拔。

 據其未生、先其未形也。

 磨礱砥礪、不見其損、有時而盡。

 種樹畜養、不見其益、有時而大。

 積德累行、不知其善、有時而用。

 棄義背理、不知其惡、有時而亡。

 臣願、王熟計而身行之。

 此百代不易之道也。


【書き下し文】  註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。


 上書(じやうしよ)して呉王(ごわう)(いさ)む    枚乘(ばいじよう)


 臣聞(しんき)く、(まつた)きを()る者は(さか)え、全きを失う者は(ほろ)ぶ、と。

 (しゆん)立錐(りつすい)地無(ちな)くして、(もつ)て天下を(たも)ち、()十戸(じつこ)聚無(しゆうな)くして、以て諸侯(しよこう)に王たり。

 湯武(たうぶ)()は、百里に過ぎざるに、上三光(かみさんくわう)(めい)を絶たず、下百姓(しもひやくせい)の心を(やぶ)らざる者は、王術有ればなり。

 (もと)より父子(ふし)(みち)は、天性なり。

 忠臣は重誅を避けず、以て直諫を置けば、則ち事に遺策無く、功は萬世に流る。

 臣乘願はくは心腹を披いて、愚忠を効さん。

 惟だ大王少しく意念惻怛の心を臣乘が言に加へよ。


 夫れ一縷の任を以て、千鈞の重きを係け、上之を無極の高きの懸け、下之を不測の淵に垂るれば、

甚愚の人と雖も、猶ほ其の將に絶えんとするを哀しむを知るなり。

 馬方に駭くに、鼓うちて之を驚かし、係方に絶ゆるに、又重くして之を鎭す。

 係天に絶ゆれば、復た結ぶ可からず。

 墜ちて入深淵に入れば、以て復た出で難し。

 其の出づると出でざると、間髮を容れず

 能く忠臣の言を聽かば、百擧必ず脱せん。

 必ず爲さんと欲する所の若きは、累卵よりも危ふく、天に上るよりも難し。

 爲さんと欲する所以を變ずるは、掌を反すよりも易く、泰山よりも安し。

 今天命の上壽を極め、無窮も樂しみを敝し、萬乘の勢ひを究めんと欲し、掌を反すの易きに出で、

 泰山の安きに居らずして、累卵の危きに乗り、天に上るの難きに走らんと欲す。

 此れ愚臣の大いに惑ふ所なり。


 人の性其の影を畏れて其の迹を惡む有り。

 却背して走るも、迹愈々多く、影愈々疾し。

 陰に就きて止まるに如かず。

 影滅えて迹絶えん。

 人の聞くこと勿らんことを欲せば、言うこと勿きに若くは莫し。

 人の知ること勿らんことを欲せば、爲すこと勿きに若くは莫し。

 湯の滄やかならんことを欲し、一人之を炊ぎ、百人之を揚げは、益無きなり。

 薪を絶ち火を止むるに如かざるのみ。

 之を彼に絶たずして、之を此に救ふは、譬へば猶ほ薪を抱いて火を救ふがごとし。

 養由基(ようゆうき)は楚の射を善くする者なり。

 楊葉(ようよう)を去ること百步にして、百發百中す。

 楊葉の大きさにして、百中を加ふるは、善く射ると謂う可し。

 然れども其の止まる所は、乃ち百步の内のみ。

 臣乘に比すれば、未だ弓を操り矢を持つことを知らざるなり。


 福の生ずるは基有り、禍の生ずるも胎あり。

 其の基を納れ、其の胎を絶たば、禍何れよりか來らん。

 泰山の霤は石を穿ち、殫極の䋁は幹を斷つ。

 水は石の纘に非ず、索は木の鋸に非ず。

 漸靡之をして然らしむなり。

 夫れ銖銖にして之を稱れば、石に至りて必ず差ひ、寸寸にして之を度れば、丈に至りて必ず過つ。

 石もて稱り丈もて量れば、徑やかにして失寡なし。

 夫れ十圍の木も、始め生じて蘖なれば、足搔いて絶つ可く、手擢かして拔く可し。

 其の未だ生ぜざるに據り、其の未だ形れざるに先だてばなり。

 磨礱砥礪して、其の損するを見ざれども、時有りて盡く。

 種樹畜養して、其の益を見ざれども、時有りて大なり。

 德を積み行を累ぬれば、其の善きを知らざれども、時有りて用ひらる。

 義を棄て理に背けば、其の惡しきを知らざれども、時有りて亡ぶ。

 臣願はくは、王熟計して身づから之を行わんことを。

 此れ百代不易の道なり。


【語彙解説】

〇景帝(けいてい) ・・・ 前漢の第六代皇帝。チャイナ皇帝の中で名君とされる一人。父の文帝と同様に漢の基盤を固める善政を行い、その治世は「文景の治」と賞賛された。

〇呉王(ごおう) ・・・ 高祖・劉邦の兄・劉仲の子の濞(ひ)のこと。

〇怨望(えんぼう) ・・・ うらんで不平をいだくこと。うらむこと。

〇慈孝(じこう) ・・・ 親が子を慈しみ、子が孝行を尽くすこと。親の慈愛と子の孝行。

〇糸筋(いとすじ) ・・・ 糸のように細いもの。

〇養由基(ようゆうき) ・・・ 春秋時代の楚の武将。姓は籝、氏は養、諱は由基。弓の名人として知られる。

〇楊葉(ようよう) ・・・ 黄楊(つげ)の葉っぱ。


間不容髮(かんふ‐ようはつ) ・・・ 「間、髪を容れず」。髪の毛一本を入れる隙間もないという意味から。何か事が起きたときに、それに合せた行動をすぐに行うこと。

危於累卵(きお‐るいらん)/危猶累卵(きゆう‐るいらん) ・・・ 「累卵より危うし」「危うきこと()お累卵のごとし」と訓読する。「累卵之危」とも言う。極めて不安定で危険な事の例え。積み重ねた卵は崩れやすいが、それよりもなお危うい状況にある、という意味。

泰山之霤穿石 = 山霤穿石(さんりゅう‐せんせき)/山溜穿石(さんりゅう‐せんせき) ・・・ 「山霤、石を穿つ」と訓読みする。山から滴り出る水が、長い時間をかけて岩石に穴をあけるという例え。転じて、小さな努力を重ねていけば、どんなことも成し遂げることができる意味。

磨礱砥礪(まろう‐しれい) ・・・ 「磨礱」は研ぎ磨くこと。「砥」と「礪」はどちらも砥石(といし)を表す。いつの間にか物が擦り減っていつことを意味する。
 当本文では「物を研いだとき、擦り減っていることは十分にわからないが、人の行いも小さな行動が積り積って繫栄したり滅亡したりする原因になる」と訳す。


【出典】

 『新釈漢文大系』 「文選」 明治書院

 チャイナの元々の出典:『漢書』 巻五十一の枚乗伝


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