高唐賦 幷序(こうとうのふ ならびにじょ)   作:宋玉


 【還暦ジジイの説明】


 「朝雲暮雨(ちょううんぼう)」という四字熟語がある。

 風光明媚な山景でも(うた)ったものか、或いは、「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」のような哲学的なものか、と思ったが、違った。

 なんと、男女の逢瀬(おうせ)や情交を暗示しているのだそうだ。

 高唐賦の中の一節で、直訳すると「朝には雲となり、夕べには雨となる」の意で、「朝となく夕となく、情を交わす」が真意。

 登場する巫山(ふざん)の娘は、「瑤姫(ようき)」と呼ばれる巫山の神女(しんじょ)である。

 勿論、美女!

 いや~、羨ましい!(笑)

 「巫山之夢(ふざんのゆめ)」「雲雨巫山(うんうふざん)」とも言う。



 【現代口語訳】


 昔、()襄王(じょうおう)は、宋玉を(とも)として、巫山の頂に建てられていた雲夢の台(高楼)に遊んだ時、高唐の楼観の上にだけ雲が湧き起っており、高々とまっすぐに立ちのぼるかと思うと、突然形を変えます。


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 変幻極まりない雲気に接して、先王(懐王)にも仕えたことのある宮廷詩人の宋玉に問うた。

 「あれはどういう気であるか?」

 宋玉は、「朝雲と呼びならわされております」と、答えました。

 王が、「朝雲とは何のことか?」と、問うと、

 宋玉はこう答えた。

 「昔、先王(懐王)が高唐の楼観に遊ばれました時、お疲れになって昼寝をされていると、夢の中に婦人が現れ、

『私は巫山の山頂に住む娘ですが、いま麓の高唐観に滞在しております。

王様がこちらに遊ばれると伺い、寝所にお仕えしたいと思って参上いたしました』と申しました。


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 先王はこの娘を寵愛されました。

 去り際に娘が申しますには、

 『私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。夜が明ければ朝雲となり、日が沈めば通り雨となって、

毎朝毎夕、あなた様の寝所に参りましょう』と。


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 翌朝、巫山の頂きを眺められると、言葉通り雲が湧き起っていました。

 そこでこの神女を祭る廟を建てられ、朝雲廟と名付けられたのです。」



 【原文】


   高唐賦幷序  宋玉


 昔者楚襄王、與宋玉遊於雲夢之臺。

 望高唐之觀、其上獨有雲氣。

 崪兮直上、忽兮改容。
 須臾之閒、變化無窮。

 王問玉曰、此何氣也。

 玉對曰、所謂朝雲者也。

 王曰、何謂朝雲。
 玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而晝寢。
 夢見一婦人、曰、妾巫山之女也。

 爲高唐之客。
 聞君遊高唐、願薦枕席。

 王因幸之。
 去而辭曰、妾在巫山之陽、高丘之阻。

 旦爲朝雲、暮爲行雨。
 朝朝暮暮、陽臺之下。

 旦朝視之如言。
 故爲立廟、號曰朝雲。


 【書き下し文】


   高唐(こうとう)() (ならび)(じょ)  宋玉(そうぎょく)


 昔者(むかし)楚の襄王(じょうおう)宋玉(そうぎょく)雲夢(うんぼう)(うてな)に遊ぶ。

 高唐(こうとう)(かん)を望むに、その上に(ひと)雲気(うんき)有り。

 (しゅつ)として(ただ)ちに(のぼ)り、(こつ)として(かたち)を改む。

 須臾(しゅゆ)(かん)に変化(きわ)まり無し。


 (おう)(ぎょく)に問ひて(いわ)く、「これ何の気ぞ」と。

 玉(こた)へて曰く、「所謂(いわゆる)朝雲(ちょううん)なる者なり」と。

 王曰く、「何を朝雲と()ふ」と。

 玉曰く、「昔者(むかし)先王(せんおう)(かつ)て高唐に遊び、(おこた)りて昼寝し、夢に一婦人(いちふじん)を見るに、

 曰く、『(しょう)巫山(ふざん)(じょ)なり。高唐の客為(かくた)り。(くん)の高唐に遊ぶを聞き、願はくは枕席(ちんせき)を薦めんと』。

 王()りて(これ)(こう)す。

 去りて辞して曰く、『(しょう)は巫山の(よう)、高丘の()に在り。

 (あした)には朝雲と()り、(ゆうべ)には行雨(こうう)()りて、朝朝暮暮(ちょうちょうぼぼ)陽台(ようだい)(もと)にあり』と。

 旦朝(たんちょう)(これ)()るに(げん)の如し。

 (ゆえ)に為に(びょう)を立て、号して朝雲(ちょううん)()ふ」と。


 【語彙説明】

〇『文選』(もんぜん) ・・・ チャイナ南北朝時代の(りょう)の国の昭明太子(しょうめいたいし)蕭統(しょうとう)によって編纂された詩文集。全30巻。文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録している。

〇巫山(ふざん) ・・・ 現在の四川省と湖北省の境に在り、長江中流域の沼沢の中にあったとされる山。神の山と崇められ、仙女が住んだと言い伝えられている。巫山は日本に譬えれば富士山みたいなもので、山頂で馬鹿なことをすると「巫山戯(ふざけ)る」と云う。

〇雲夢の台(うんぼうのうてな) ・・・ 楚の広大な沼沢地の雲夢沢。湖北省沙市から漢陽にかけて、長江の北に広がっていた。楚王の遊猟の地であるので、楼台が設けられていた。「台」は「だい」と読んでも「うてな」と読んでも、どちらでも良い。

〇崪(しゅつ) ・・・ 高く険しい様子。

〇枕席(ちんせき)を薦(すす)める ・・・ 同衾する。添い寝する。情を交わすの意。

〇幸(こう)す ・・・ 枕を共にするの意。

〇陽(よう) ・・・ 河川の北側なら「きた」と読み」、山の南側になら「みなみ」と読む。 

〇岨(そ) ・・・ 現代表記では「阻」、山の険しい所。

〇旦(たん) ・・・ 朝のこと。

〇行雨(こううん) ・・・ 通り雨。

〇妾(しょう) ・・・ 巫山の神女が、自分を(へりくだ)って言った言葉。「わたしは」「わたくしめは」

 「巫山の女」または「巫山神女」と呼ばれ、「瑤姫」のこと。彼女は、もともと天帝の女だったが、未婚のまま亡くなり巫山の南に葬られ、巫山の神となった。
 後に、楚の懐王が夢にこの神女と通じ、(懐王の次の王)襄王も彼女と夢の中で交わった。
 神女が、「自分は明日に朝雲となり夕べにに雨となる」と説明したことから、男女の交りの隠語として「雲雨」(うんう)または「朝雲暮雨」(ちょうううん‐ぼう)が生まれた。

〇陽台(ようだい) ・・・ 高唐の観を指す。山の南側に在るため、陽台と名付けたものか。


 【プロフィール】

 宋玉(そうぎょく) ・・・ 楚の宮廷詩人。屈原(くつげん)詩賦(しふ)の弟子。

 襄王(じょうおう) ・・・ 楚の王。在位期間は前298年~263年。


 【出典】

 『新釈漢文大系 第81巻 文選(賦篇) 下』 p.343 「情  高唐賦幷序  宋玉」 明治書院 著者:高橋忠彦 平成13年7月25日 初版


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