楚王の問いに對える(そおうのといにこたえる) 作:宋玉
【還暦ジジイの説明】
「郢客陽春を唱う」の諺の故事。
楚王が宋玉に「先生、なぜ我が国では貴方の評判が高くないのか?」と問うた。
いくら自分が楚王とは言え、先王から仕えている側近の先生に対して、随分、失礼な質問である。
それに宋玉が、少し皮肉をまじえて答えている。
「怒らないで下さい」と前置きしながら、ズケズケと言っており、クスッとさせる。
【現代口語訳】
楚の襄王が宋玉に尋ねて言う、
「先生には何か行いに欠けている所がおありなのか、士人や人民たちが称賛することのなんと乏しいことよ」と。
宋玉が答えて言う、
「はい、その通りであります。私には欠けているところがございます。
どうか大王様、私の罪を許されて、わが言を終えさせて下さいます様、お願い申し上げます。
遊説の士で城内(楚の都:郢)に歌をうたう者がおりました。
最初に『下里巴人』の歌をうたっておりましたところ、続けて和する者が数千人おりました。
『陽阿薤露』の歌をうたいますと、続けて和する者が数百人ありました。
『陽春白雪』の歌をうたいますと、続けて和する者が数十人に過ませんでした。
商羽の音楽を厳かにうたい、流徴を交えますと、続けて和する者が数人に過ませんでした。
これはその曲が高尚になればなるほど、それに応じて少なくなるのであります。
そもそも鳥の中には鳳がいますし、魚の中には鯤(想像上の大魚)がおります。
鳳凰は空高く九千里のかなたに羽ばたき、雲霓を飛び越え、青空を背にして、空の遥か遠くを駆け巡ります。
あの垣根の側を彷徨っている小鳥に、どうして天の高さを推測することが出来ましょう。
鯤魚は朝に崑崙の墟を出て、碣石を通り過ぎ、暮れには孟諸に宿るのであります。
あの小さな水たまりにいる小魚に、どうして江海の広さを計ることが出来るでありましょうか。
かく見るならば、ただ鳥にだけ鳳凰がいるのでも、魚にだけ鯤魚がいる訳ではありません。
士人の中にもいるのであります。
そもそも聖人は、心広々として行いは清潔なのであって、世俗から超然としていて独り居るものであります。
そもそも世俗の人々が、どうして私の行為を理解することが出来るでありましょう」と。
【原文】
對楚王問 宋玉
楚襄王問於宋玉曰、先生其有遺行與。
何士民衆庶不譽之甚也。
宋玉對曰、唯、然。有之。願大王寬其罪、使得畢其辭。
客有歌於郢中者。
其始曰下里巴人、國中屬而和者數千人。
其爲陽阿薤露、 國中屬而和者數百人。
其爲陽春白雪、 國中有屬而和者不過數十人。
引商刻羽、雜以流徵、國中屬而和者不過數人而已。
是其曲彌高、其和彌寡。
故鳥有鳳、而魚有鯤。
鳳皇上擊九千里、絕雲霓、負蒼天、(足亂浮雲、)翱翔乎杳冥之上。
夫蕃籬之鷃、豈能與之料天地之高哉。
鯤魚朝發崑崙之墟、暴鬐於碣石、暮宿於孟諸。
夫尺澤之鯢、豈能與之量江海之大哉。
故非獨鳥有鳳、而魚有鯤也。
士亦有之。夫聖人瑰意琦行、超然獨處。
夫世俗之民、又安知臣之所爲哉。
【書き下し文】
楚王の問ひに對ふ 宋玉
楚の襄王、宋玉に問ひて曰く、先生其れ遺行あるか。
何ぞ士民衆庶の譽めざるの甚だしきやと。
宋玉、對へて曰く。
唯、然り。之れ有り。願はくは大王其の罪を寬くし、其の辭を畢くすを得しめよ。
客 郢中に歌ふ者有り。
其の始めを下里巴人と曰ふ、國中の屬して和する者、數千人なり。
其の陽阿薤露を爲す、國中の屬して和する者數百人なり。
其の陽春白雪を爲す、國中の屬して和する者數十人に過ず。
商を引き羽を刻み、雜ふるに流徵を以てす、國中の屬して和する者數人に過ぎざるのみ。
是れ其の曲彌高くして、其の和彌寡なし。
故に鳥に鳳有りて、魚に鯤有り。
鳳皇は上九千里に擊ち、雲霓を絕ち、蒼天を負ひ、(足亂浮雲、)杳冥の上に翱翔す。
夫れ蕃籬の鷃は、豈能く之と天地の高きを料らんや。
鯤魚は朝に崑崙の墟を發し、鬐を碣石に暴し、暮れ孟諸に宿す。
夫れ尺澤の鯢、豈能く之と江海の大を量らんや。
故に獨り鳥に鳳有りて、魚に鯤有るのみに非ざるなり。
士にも亦之れ有り。夫れ聖人は瑰意琦行、超然として獨り處る。
夫れ世俗の民、又安くんぞ臣の爲す所を知らんやと。