『詩経』 小雅 「谷風之什」 四月(しきょう しょうが こくふうのじゅう しげつ)


【還暦ジジイの説明】


 この詩の中の「山に嘉き有り」の一文は、「卉」の訓読みの問題として出題されている。

 解答は「くさ」。

 これは出題の解答として、何ら疑問の余地はない。

 しかし、『新釈漢文大系』などを紐解くと、読み下し文で「き」と読んでいる。

 「き」は音読みなのだが、「木」に通じ、古代の樹木崇拝から、詩の意味として「き」と読む方が、適切であろうと解釈されている。


【現代口語文】


 詩の題名: 四月


 四月に立夏となり、六月は極めて暑い。

 (このような季節にさらに暑い南方に向って征役しなければならない。私は本当に不遇だ。)

 祖霊(それい)不仁(ふじん)なのか。

 なぜ私(をこのような喪乱(そうらん)に遇う苦労をさせて)平気で(見て)いられるのか。


 秋の日は寒く、多くの草木もみな枯れ(しぼ)む。

 (同じように私も)禍乱(からん)と憂いに悩み苦しみ(疲れ果て)、どこに行って身を寄せた(らよい)のか。


 冬の日は寒さが厳しく、つむじ風はヒューヒューとうなる。

 (風の神に申し上げる。)民はみな倖せに(生きて)いるのに、どうして私独りだけ(このように不遇(ふぐう)で心を)(いた)めるのか。

 山によい木がある、(それは)(くり)や梅。

 (山の神に申し上げる。)(今の世は)大いに(人を)傷つけそこなうことをして、そのあやまちを知るものがない。

 (世の退廃を知っているのは、孤独で不遇な私だけだ。)


 あの泉の水を視れば、(おのずと)清んだり濁ったり。

 (水の神に申し上げる。)私は日々に(わざわい)に遭い、いつに(なったら)よくなることができるのだろうか。


 滔々と流れる江水・漢水は、南の国をすべてつかさどる(本源である)。

 (水の神に申し上げる。)思い悩み苦しんで仕えたのに、私を親しみ(かばって)くれるものは(誰も)いない。


 あの(わし)は、あの(とび)は、高く飛んで天に至る(ことができる)のに。

 (今の世のどこにも私は身の置き所がない)。

 あの(こい)は、あのなまずは(深く)潜んで(ふち)に逃れる(ことができる)のに。

 (私は禍から逃れることができない。)


 山にわらびと、のえんどうがあり、沢には枸杞(くこ)の木とぶなの木がある。

 (祖霊よ降臨して下さい。)君子(祖霊)に歌を作り、(私はそれを詠んで心の)(かな)しみ苦しみを訴える。


【真意】

 貪欲残忍で愚鈍の典型と後世に評された、西周最後の王、幽王の時代。

 この詩は、ある一族の長が、酷暑の南方へ征役(せいえき)で駆り出される、わが身の不幸を、平気で見ている祖霊に対する不満や、世の人の退廃に気付いているのは自分だけだという孤独感を詠っている。

 要するに、我が身の不遇と孤独を訴える宗教祭祀(さいし)の歌、と解釈されている。

 しかし、怒りの矛先は祖霊の神ではなく、現実の国王であり、庶民を代表する怨嗟の声であろう。


 結果、外敵の脅威は単なる外患に止まらず、国内の新勢力の勃興を促し、旧勢力の退廃を招いた。

 案の定、東南の諸侯が反乱が起したが、それを鎮圧すべき他の諸侯は集結しなかった。

 幽王は逃亡先で殺され、国は亡びた。


 ウクライナに侵攻したプーチン大統領のロシア。

 幽王と同じく貪欲残忍ですね。

 ロシアも西周と同様、早く亡びて欲しいものですね。

 ご存知でしょうが、チャイナの習近平(しゅうきんぺい)も同じ穴の(むじな)です。


【読み下し文】   註:歴史的かな遣い、正漢字


 詩の題名: 四月(しげつ)


 四月(しげつ) (これ)夏たち 六月(りくげつ) ()れ暑し
 先祖(せんぞ) 匪人(ひじん)なるや (なん)(すなわ)ち (われ)に忍べる

 秋日(しうじつ) 淒淒(せいせい)たり 百卉(ひやくき)(とも)()
 亂離(らんり)()めり (いづ)くかに()適歸(てきき)せん

 冬日(とうじつ)は 烈烈(れつれつ)たり 瓢風(へいふう)は 發發(はつはつ)たり
 (たみ) ()からざる()きに 我 (ひと)(なん)(がい)ある

 山に()()有り ()(りつ)と 侯れ(ばい)
 (おほ)いに殘賊(ざんぞく)()し ()(とが)を知るもの()

 ()泉水(せんすい)()れば (すなは)()み 載ち(にご)
 我日々(われひび)(わざはひ)()ふ (いづ)(ここ)()()からむ

 滔滔(たうたう)たる江漢(かうかん)は 南國(なんこく)()
 盡瘁(じんすい)して(もつ)(つか)へしに (すなわ)ち我を(した)しむもの()

 ()(たん) 匪の(えん) (たか)()んで天に(いた)るに
 匪の鱣(たん) 匪の鮪 潜(ひそ)みて淵に逃るるに

 山に蕨薇(けつび)有り (さわ)杞桋(きい)()
 君子(くんし)に歌を作り ()れを(もつ)(あい)()


【原文】


  四月

 四月維夏(しげついか)  六月徂暑(りくげつしょしょ)

 先祖匪人(せんそひじん)  胡寧忍予(こねいにんよ)


 秋日淒淒(しゅうじつせいせい)  百卉具腓(ひゃくきぐひ)

 亂離瘼矣(らんりばくい)  爰其適歸(えんきてきき)


 冬日烈烈(とうじつれつれつ)  飄風發發(ひょうふうはつはつ)

 民莫不穀(みんばくふこく)  我獨何害(がどくかがい)


 山有嘉卉(さんゆうかき)  侯栗侯梅(こうりつこうばい)

 廢為殘賊(はいいざんぞく)  莫知其尤(ばくちむちゅう)


 相彼泉水(そうかせんすい)  載清載濁(さいせいさいどく)

 我曰構禍(がえつこうか)  曷云能穀(かつせいのうこく)


 滔滔江漢(とうとうこうかん)  南國之紀(なんごくのき) 

 盡瘁以仕(じんすいじし)  寧莫我有(ねいばくがゆう)


 匪鷻匪鳶(ひたんひえん)  翰飛戾天(かんひれいてん)

 匪鱣匪鮪(ひてんひい)  潛逃于淵(せんちょううえん)


 山有蕨薇(さんゆうびけつ)  隰有杞桋(しつゆうきい)

 君子作歌(くんしさっか)  維以告哀(いじこくあい)


【語彙説明】   註:()カッコ内は、出典。


〇興詞(きょうし) ・・・ 「興」は『詩経』の六義の一つとして、『詩経』を研究する際に避けて通れない、歴史的にも重要な詩の種類の一つの課題である。「興」を「たとえ歌」としているのは隠喩の意として、詩篇の解釈は謎解きのような方向をたどる。

〇行役(こうえき) ・・・ 国境の警備や土木工事など官命による労役。また、それに従事すること。

〇先祖匪人 ・・・ 祖霊はどうして不仁なのかの意(馬瑞辰)。「先祖」は、子孫を守護する祖霊の意(高亨)。「匪」は「不」と同じで、「人」は「仁」の意(馬瑞辰)。鄭箋は「非」と同じとする。

〇山有嘉卉 ・・・ 興詞。山の神霊を讃える意を持つ。「嘉」は、よいの意(鄭箋・集伝)。

「卉」は、木の意で、呪物。神霊・祖霊の降臨を祝する意を持つ。赤塚忠・博士の「古代には恐らく樹木崇拝があったであろう。

しかし樹木を独立に信仰の対象としておったとするよりは、山の信仰に付随するものと考えた方が適当である。

<中略> 樹木はまた山神土神に対しては一種の呪物であったのである。

いったい、山神土神のごとき信仰の対象はまた詩の献げられるべき対象であっても、直接我が意を代弁させるものではないであろう。

樹木が興物として選ばれているゆえんは、かかる呪物的観念に依る」による。

〇山有蕨薇 隰有杞桋 ・・・ 興詞。祖霊を歓待する意を持つ。「蕨」は、わらび、「薇」は、のえんどうの意で、呪物。

どちらも食用となる。「隰」は、低湿の地の意(高亨)。「山」と対象されている。「杞」は、枸杞(くこ)の木の意(毛伝・集伝)で、呪物。

葉と実は食用となる。「桋」はブナの高木の名(屈万里)で、呪物。種子は食用となる。

祖先祭祀の時、これらを捧げることによって祖霊を思慕し、歓待する意を持つ。


【参照文献】


 『新釈漢文大系 111  詩経 中』  石川忠久・著 明治書院 1981年(昭和56年)12月1日発行

 本書は、第72回毎日出版文化賞企画部門受賞、第66回菊池寛賞受賞をしている。


【漢検の出題】

 平成24年度 第1回 日本漢字能力検定1級 (一)30問 〔訓読みで回答〕 「山に嘉き有り」 (標準解答:くさ)

 石川忠久博士は、「」を「き」と読んでいるが、漢検は、訓読みの出題なので「くさ」を正解としている。


【プロフィール】

 石川忠久 (いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9日 - 2022年〈令和4年〉7月12日)

 日本の中国文学者。学位は、文学博士。号は岳堂。
 二松学舎大学名誉教授・顧問、桜美林大学名誉教授、日本中国学会顧問、全国漢文教育学会会長、斯文会理事長、
 六朝学術学会顧問、全日本漢詩連盟会長、漢字文化振興会会長。漢詩の著書・編著多数。


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