元九を憶う(げんきゅう を おもう) 作:白居易
【還暦ジジイの説明】
この詩は、女性が恋心を詠ったものだ、とばかり想像していた。
「渚宮の東面、煙波冷やかに」は、身体が震えた。
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ところが、八歳も年上の男が、遠方へ左遷された友を気遣った詩だったのだ。
うっそ~(笑)
作者の白居易(白楽天)は、チャイナの三大詩人の一人(他は杜甫と李白)。
元九とは白居易の友人・元稹のことで、当時江陵に左遷させられていた。
二人は科挙試験を偶々一緒に受験した。
成績は、白居易が主席、元稹は第五席であった。
科挙に合格後、白居易と元稹は共に秘書省の役職につき、以後生涯に亘る友人となった。
元稹は、人心掌握に優れ、統率力があったのだろう、宰相まで登り詰めた。
要するに、リーダーの素質があったんですね。
一方、白居易は自由人で自分より頭が悪いと見た相手には礼儀を欠く性格。
官吏職は元々性に合なかった。
そんな元稹と白居易とは対照的な性格であったが、それが却って二人を結びつけた、と言えるかも知れない。
少なくとも白居易の方は、八歳年上でありながら、元稹を掛け替えの無い友として、生涯に亘り慕い続けた。
二人は、多くの詩のやり取りをした。
謂わば手紙ですね。
その一つが、今回の詩。
【原文】
八月十五日夜禁中獨直對月憶元九 作:白居易
銀臺金闕夕沈沈
獨宿相思在翰林
三五夜中新月色
二千里外故人心
渚宮東面煙波冷
浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見
江陵卑溼足秋陰
【読み下し文】
八月十五日夜、禁中に独り直し、月に對して元九を憶う 作:白居易
銀臺金闕 夕沈沈
獨り 宿し 相思うて 翰林に在り
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
渚宮の東面 煙波冷やかに
浴殿の西頭 鐘漏深し
猶 恐る淸光の 同じく見ざるを
江陵は 卑濕にして 秋陰 足る
【現代口語訳1】
白金作りの楼台も、黄金づくりの宮殿も、日が落ちて静まりかえっている。
私は独り翰林院に宿直して、君のことを想っている。
今夜は十五夜で、出たばかりの月は澄みわたり、
二千里の彼方にいる君も、しみじみ感じ入って眺めているだろうか。
君がいる江陵の渚宮の東面では川面に夜霧がたちこめて、さぞ冷ややかなことであろう。
私が今いる宮中の浴殿の西側では時を告げる鐘の音や水時計のしたたる音がしみじみと響いてくる。
(夜更けに私が君を案じているように、この月を見て君も私のことを想っていてくれるだろうか)
だがひょっとして、君はこの澄んだ月の光を、私と同じようには見られないのではないか。
江陵は土地が低く、湿気も多くて秋でも曇りがちであるということだから。
【現代口語訳2】
宮中のあちこちに宮殿がそびえ立ち、夜がしんしんと更けてゆく。
私はひとり翰林院に宿直しながら、君のことを思う。
今宵は十五夜、出たばかり明月に、はるか二千里の彼方にいる君の心がしのばれる。
君の居る渚宮の東の方では、靄に霞んだ水面が、月に照らされて冷たく光っているだろう。
私が居る宮中の浴殿の西側では、時を告げる鐘や水時計の音が、時が深々と刻んでいる。
君も私と同じくこの清らかな月光を見て、私を想ってくれているだろうが、それでもなお心配なのは、
君が(病床に臥せって)この清らかな月光を見られないのではないかと言うことだ。
なぜなら、江陵の地は低く湿っぽくて、秋も曇りがちの日が多いというから。
【語彙説明】
〇八月十五日夜・・・旧暦、仲秋の名月の夜。『文苑英華』では「八月十五夜」に作る。
〇禁中(きんちゅう)・・・宮中。
〇直(ちょく)・・・宿直する。
〇元九(げんく)・・・元稹(げんしん)のこと。元一族の九番目の子。白居易の終生の友人。
〇銀臺(ぎんだい)・・・宮中の御殿。
〇金闕(きんけつ)・・・宮中の門。
〇沈沈(ちんちん)・・・夜のふけていくさま。
〇相思(そうし)・・・元稹のことを思う。
〇翰林(かんりん)・・・翰林院のこと。
唐の玄宗が開元26年(西暦738年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐代中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のこと。
学問や政治の最高の人材が揃うという共通点もあり、Academy(アカデミー)の訳語としても使われることがある。
〇三五夜(さんごや)・・・十五夜。
〇新月(しんげつ)・・・昇りはじめた月。
〇故人(こじん)・・・ふるくからの友達。元稹。
〇渚宮(しょきゅう)・・・池のなぎさに建っている宮殿。春秋時代の楚の国の宮殿。
〇煙波(えんぱ)・・・たちこめたもやと池の波。
〇鐘漏(しょうろう)・・・時を知らせる鐘と水時計。
〇卑濕(ひしつ)・・・土地が低く湿気が多い。
【人物プロフィール】
〇白居易(はく きょい)、大暦7年(西暦772年) ~会昌年(846年)、没75歳。
字は楽天で、日本では「白楽天」で有名。
唐代中期の詩人。本貫は太原郡陽邑県。兄は浮梁県の主簿の白幼文。弟は白行簡。
北斉の白建の末裔にあたる。
〇元稹(げんじん)、大暦14年(西暦779年)~太和5年(西暦831年)、没53歳。
チャイナ、中唐時代の文学者。洛陽(河南省)の人。字、微之。
15歳で明経科に抜擢された秀才で、西暦806年(憲宗の元和元年)、科挙に及第、皇帝による特別試験を首席及第。
左拾遺となったが権臣に憎まれ河南尉に左遷された。
その後も左遷と昇進を経て長慶2年(西暦822年)宰相となったが、政争に絡んで罷免され、地方官を歴任したのち、
武昌軍節度使に移って死んだ。
白居易と親交があり、唱和した詩が多く、また、ともに李紳の『新題楽府』に刺激された『新楽府』の創作にも
あたって「元白」と並称された。ともに平易な表現を特色として、その詩風は「元和体」と呼ばれる。
伝奇小説『鶯鶯伝』、詩文集『元氏長慶集』 (60巻) がある。
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