洞庭湖に臨む   作:孟浩然


 この詩に出て来る、張丞相(ちょうじょうしょう)とは張九齢(ちょうきゅうれい)のことで、孟浩然(もうこうねん)が、暗に任官の斡旋(あっせん)を頼みこんでいると思われる。

 なんとも現実的な頼み事だが、詩は雄大である。(笑)

 頼まれた方も、思わず斡旋したくなる。

 我々も見習いたいものだ。

 打算的で利害が絡む事柄でも、それを感じさせない清涼剤で包む。

 現代ならユーモアか。

 しかし、雄大で清々(すがすが)しい文章を書いて、智的に、相手を納得させるのも魅力だ。


 チャイナの三大詩人は、杜甫(とほ)李白(りはく)白居易(はくきょい)(白楽天)。

 このうちの李白が、孟浩然(もうこうねん)を大変尊敬し、詩業の先輩として仰いだ。


 洞庭湖(どうていこ)岳陽楼(がくようろう)は古くから色々な詩に読まれている。

 杜甫の『岳陽楼に登る』、蘇東坡の『湖上に飲す初め晴れ後に雨ふる』も有名。

 岳陽楼をうたった詩としては、この詩と『岳陽楼に登る』が双璧。


 【原文】


  臨洞庭湖贈張丞相 孟浩然


 八月湖水平 涵虚混太淸

 氣蒸雲夢澤 波撼岳陽城

 欲濟無舟楫 端居恥聖明

 坐觀垂釣者 徒有羨魚情



 



 【読み下し文】


 洞庭湖(どうていこ)を臨んで張丞相(ちょうじょうしょう)に贈る  作:孟浩然(もうこうねん)


 八月 湖水は平らかに

 虚を(ひた)して太清(たいせい)(こん)

 気は()す 雲夢(うんぼう)(たく)

 波は(ゆる)がす 岳陽城(がくようじょう)

 (わた)らんと(ほっ)するも舟楫(しゅうしゅう)無く

 端居(たんきょ)して聖明(せいめい)()

 (そぞろ)(ちょう)()るる者を()

 (いたず)らに(うお)(うらや)むの(じょう)あり


 【現代口語訳】


 八月の洞庭湖の水はまっ平らで、

 大空をひたして水と天が溶け合っているようだ。

 雲夢の沢で水蒸気が蒸し、

 波は岳陽城の城郭をゆるがしている。

 この水を渡ろうとするも舟もかじも無く、

 この聖明の世に無為徒食の自分の身を恥じ、じっと座っている。

 ぼんやりと釣り人を眺めていると、

 こんな私でも魚を釣りたい気持が起こってくる。







【解説】

 詩形は五言律詩。 平・淸・城・明・情が韻を踏んでいる。


 【語彙説明】

〇洞庭湖 ・・・ 湖南省北東部にあるチャイナ最大の淡水湖。三国時代、呉と魏の「赤壁の戦」で曹操が大船の造船と訓練を行った湖である。その湖畔にあるのが岳陽楼。


 岳陽楼


〇涵虚・・・きょをひたす。「虚」(大空)を(水で)ひたす。

〇太淸・・・天。

〇氣蒸・・・水蒸気が上がる。

〇雲夢澤・・・洞庭湖付近にあった沼沢地。
 
〇舟楫・・・舟とかじ。

〇端居・・・じっと座っていること。

〇聖明・・・徳のある君主。その君主がおさめる世。

〇坐(そぞろ)・・・ぼんやりと。

〇羨魚情・・・魚を得たい。すなわち「就職したい」の暗示。


【人物プロフィール】


〇孟浩然(もう こうねん、西暦689年~740年、没52歳)

  盛唐の代表的な詩人。襄州襄陽の人。
  「春暁」の作者として知られる。自然を歌った詩に傑作が多い。
  若くして任俠の徒と交わり諸国を遍歴するが、長安に出て王維・李白・張九齢らと交流を持つ。
  玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していなかったので叶わなかった。
  しかし、朝廷への推薦をした韓朝宗との約束をすっぽかしてを駄目にしたり、いざ玄宗の前に出ても不平不満を詩にして
  玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。

〇張九齢(ちょう きゅうれい、西暦678年~740年、没63歳)

  チャイナ唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。
  則天武后の702年に進士に及第し、玄宗の信任を得、宰相の張説に引立てられた。
  玄宗の開元21年(733年)以降は尚書右丞相の任にあたった。
  「開元最後の賢相」として名声高く、王夫之は「清にして和、名声を追わず富を絶ち・・・」と絶賛している。


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