春本版『四畳半襖の下張』(よじょうはんふすまのしたばり)
18歳未満入室禁止です!(笑)
私流の現代口語訳 全文(2)
《主人公》
持って生まれた好色の性質は何歳になっても止むものではない。
十八歳の春に艶本「千草の花双羽蝶々」を読み耽っていた頃、
フトした切っ掛けで初めて遊郭に行ってから、何年も泡沫の夢のごとく体験を積んで来た。
相手は、水揚げ前の見習い女郎から、年増、小娘(処女)と、色々と女を変えてみたが、
私の好色心は飽き足りなかった。
人生五十歳も一つ二つ超しながら、寝覚めの床で鐘の音を聞くと、あれは上野か浅草かと鼻歌が出る始末。
なかなか悟りの境地に達しないとは、我ながら見上げたものだ。(苦笑)
思えば二十歳の頃、私は遊び人の若旦那のごとく背伸びして、
十七八歳の生娘などでは面白くない、五つ六つ年上の大年増を泣かせて見たい。
と、神社で願掛けまでしていた頃だ。
馴染みの茶屋で、四五十歳のエロ爺が遊ぶのを見かけた。
色恋も若気の至りと思えば許される。
だが、分別盛りの老人ではないか。
金の力(威光)で嫌がる女をオモチャにするとは言語道断、恥ずかしくないのかッ!
と、憤ったが、こっちは親の脛噛り、自由になる金も無く、虚勢を張ったところで、何も出来ぬ身。
今となって思い返せば、可笑しいやら恥かしいやら。
いつのまにか、私も禿頭の嗄れ声ともなってみると、
「金に糸目をつけないから、あの芸妓を是非とも何とかしてくれ」
と、茶屋の女将に頼む始末。
何のことはない、昔、腹を立てたエロ爺と同じではないか・・・いやはや情けなや。
自分の昔を振り返ってみると、二十代の頃、
ただ理由もなく女に惚れ込んで「死にたい」と泣いたりしたこともあった。
ところが、後になると、何のことだったかさえよく覚えてもいない。(苦笑)
色恋で熱に魘されるのは若い時、それも一時である。
老いが顔形や姿だけでなく、心まで醜くする。
年を取ると、女に振られる前に先回りして、言葉では嫌味皮肉を言い並べる。
愈々手酷く振られると知れば、
大人気なく怒鳴ったり、あるいは意地悪く強引に会いに行ったり、
と、恥かしい真似をしてしまう。
たまたま運よくモテることがあっても、無邪気に嬉しがらず、相手の女を見下して卑しむか、
そうでなければ
「こいつ何かお金を強請る下心ありか」
と、自分の懐の用心にかかるのだ。
なんとも、我ながら、情けない。
ドラマにも歌にもなったものではない。
【解説】
著者(永井荷風)、金阜山人、古人(主人公)の3者が入れ子構造で話が構成されており、
話し手を、それぞれ、《著者》、《山人》、《主人公》 と小文字で示す。
話の大半は古人(主人公)であり、ページに話し手を示していない場合は、古人(主人公)である。
ちょっと一服