『金色夜叉』(こんじきやしゃ) その19 ― カルタ会の帰り ―
【還暦ジジイの解説】
この場面のじゃれ合う二人は、今読んでもワクワクしますね。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」の明治時代に、多分、非常に読者は新鮮でエロチックに感じたに違いない。
特に、女性読者は、朝刊が待ち遠しかっただろう、と、想像します。
テレビで、高い視聴率を獲得した恋愛ドラマがあった。
お昼のメロドラマでは、『愛染鬘』『牡丹と薔薇』『真珠夫人』などなど。
夜の部では、『101回目のプロポーズ』『GOODLUCK!』『ずっとあなたが好きだった』などなど。(古いか?!笑)
これを毎日毎日、毎週毎週楽しみにしていた女性の心情が、当時の朝刊に向けられていたのでしょう。
【現代口語訳】
前編 第二章 〔その19〕
「ああ寒い!」
男は肩をそばだてて、ピッタリと彼女に寄り添った。ミヤはそれでも黙って歩いている。
「ああ寒い!!」
ミヤはなおも答えなかった。
「ああ寒い!!!」
彼女は、この時初めて男の方を見向き、
「どうしたの」
「ああ寒い」
「あら嫌ね、どうしたの」
「寒くてたまらないから、その中へ一緒に入れてくれないか」
「どの中へ」
「ショールの中さ」
「おかしい、嫌だわ」
男はいち早く彼女の押えたショールの片端を奪って、その中に身体を入れていた。
ミヤは歩けないほどに笑って、
「あら貫一さん。これじゃ苦しくって歩けやしない。ああ、前から人が来てよ」
このような戯れをして遠慮もなく、女もなすままに任せてとがめることもない彼らの関係は、そもそもどういうものだろう。
事情があって十年来、鴫沢家に身を寄せるこの間貫一は、今年の夏大学に入るを待って、ミヤと結婚するはずの人であった。
【原文】 註:旧かな遣い、正漢字。ルビは参照文献のまま。
前編 第二章 〔その19〕
「ああ寒い!」
男は肩を峙てて直と彼に寄添へり。宮は猶黙して歩めり。
「ああ寒い!!」
宮はなほ答へず。
「ああ寒い!!!」
彼はこの時始めて男の方を見向きて、
「どうしたの」
「ああ寒い」
「あら可厭ね、どうしたの」
「寒くて耐からその中へ一処に入れ給へ」
「どの中へ」
「シォールの中へ」
「可笑い、可厭だわ」
男は逸早く彼の押へしシォールの片端を奪ひて、その中に身を容れたり。
宮は歩み得ぬまでに笑ひて、
「あら貫一さん。これぢや切なくて歩けやしない。ああ、前面から人が來てよ」
かかる戯を作して憚らず、女も為すままに信せて咎ざる彼等の關繋は抑も如何。
事情ありて十年来鴫澤に寄寓せるこの間貫一は、此年の夏大学に入るを待ちて、宮が妻せらるべき人なり。
【意訳】
前編 第二章 〔その19〕 ―― カルタ会の帰り ――
「ああ寒い!」
と言って、男は肩をそばだてて、ピッタリと彼女に寄り添った。ミヤは黙って歩いている。
「ああ寒い!!」
と、叫んだが、ミヤはなおも答えなかった。
「ああ寒い!!!」
彼女は、この時初めて男の方を向いて、
「どうしたの」
「ああ寒い。寒くてたまらないから、その中へ一緒に入れてくれないか」
「どの中へ?」
「ショールの中さ」
「おかしい、嫌だわ」
男は彼女の押えているショールの片端を奪って、その中に身体を入れた。
ミヤは、歩けないほどに笑った。
「これじゃ苦しくって歩けやしない。あっ、前から人が来てよ」
しかし、男は気にもかけず戯れ、女もなすままに任せていた。
この男、間寛一は、事情あって十年来、鴫沢家に世話になっており、今夏、大学入学を待って、娘のミヤと結婚し、婿入りする筈だった。
【語彙解説】 註:緑色文字は新かな遣い、新漢字。
〇峙てる(そばだ‐てる) ・・・ 山などがかどばって高く立つ。そびえる。
「肩を峙てる」は、「寒さに肩をすぼめたら、肩がせり上がって峙った」様子を表現したのだろう。
〇關繋(くわんけい/かんけい) ・・・ 関係と同じ。
〇寄寓(きぐう) ・・・ 一時的によその家に身をよせて世話になること。また、仮の住まい。寓居。
〇夏大学に入る ・・・ 当時は大学は九月から新学期が始った。