『金色夜叉』(こんじきやしゃ) その17 ―― カルタ会の帰り ――
【現代口語訳】
前編 第二章 〔その17〕
第二章
カルタ会は十二時になってやっと終った。
十時頃から一人二人と座を立って、見る間に人数の三分の一強が居なくなったいたが、
なお飽きずに残った者は、景気好く勝負を続けていた。
富山が姿を隠したと知らない者は、恐れを為して逃げ帰ったと思っていた。
ミヤは終りまで残っていた。
もしミヤが早く帰っていたら、踏みとどまる者は三分の一弱に過ぎなかっただろう、などと、
居間の富山は主の亮輔と得意げに語り合っていた。
ミヤに心を寄せる男たちは、彼女が一人で帰るのを期待して、できれば自分がどこまでも送ろうと、
待っていたのだが、それは要らぬお節介だった。
ミヤが帰る時には一人の男が付き添っていた。
その男は、高等中学の制服を着た二十四五歳の学生だった。
富山のダイアモンドの次に、学生の挙動は人目を引いていたのだが、それは座中に彼のほかミヤと親しげにする者がいなかったからである。
しかし、この些細な点を除けば、多く語らうでもなく、騒ぐでもなく、慎しくしていたので、気にはかけられながらも、最後まで彼が同伴者だとは気付かれなかった。
というのも、同伴者にしては、よそよそしく見えたからだった。
二人が連れ立って門を出るのを見て、失望する男達は少なくなかった。
【原文】 註:旧かな遣い、正漢字。ルビは参照文献のまま。
前編 第二章 〔その17〕
第二章
骨牌の会は十二時に迨びて終りぬ。
十時頃より一人起ち、二人起ちて、見る間に人數の三分の一強を失ひけれども、
猶飽かで残れるものは景気好く勝負を続けたり。
富山の姿を隠したりと知らざる者は、彼敗走して歸りしならんと想へり。
宮は會の終まで居たり。
彼若疾く還りたらんには、恐く踏留るは三分の一弱に過ぎざりけんを、と我物顔に富山は主と語合へり。
彼に心を寄せし輩は皆彼が夜深の歸途の程を氣遣ひて、我願はくは何處までも送らんと、
絶に念ひに念ひけれど、彼等の深切は無用にも、宮の歸る時一人の男附添ひたり。
其人は高等中學の制服を着たる二十四五の學生なり。
金剛石に亜いでは彼の擧動の目指れしは、座中に宮と懇意に見えたるは彼一人なりければなり。
此の一事の外は人目を牽くべき點も無く、彼は多く語らず、又は躁がず、始終愼して居たり。
終まで此兩個の同伴なりとは露顯せざりき。
然あらんには餘所々々しさに過ぎたればなり。
彼等の打連れて門を出づるを見て、始めて失望せしもの寡からず。
【意訳】
前編 第二章 〔その17〕 ―― カルタ会の帰り ――
第二章
カルタ会は十二時になって終った。
十時頃より、見る見る減って、三分の一ほど帰ったが、残った者は、勝負を続けていた。
富山が居間に逃げたと知らない者は、敗走して帰ったに違いないと思っていた。
ミヤは終いまで留まっていた。
もしミヤが早く帰っていたら、残った者は三分の一だっただろう。
彼女に心を寄せる男たちは皆、自分が送って帰ろうと企んでいたのだが、
まさか、一人の男が同伴者だったとは知らなかった。
その男は、高等中学の制服を着た二十四五歳の学生だった。
皆が気付かなかったのは、ミヤが富山と親しくしている様に映ったからだ。
その上、学生の男は、人目を引くでも無く、多くを語らず、始終慎ましくしていし、
さらに、ミヤと他人行儀にしていたので、最後までこの学生が同伴だとは、誰も気付かなかった。
二人が連れ立って門を出るのを見て、失望する男達は少なくなかった。
【語彙解説】 註:緑色文字は新かな遣い、新漢字。
〇歌留多/骨牌(かるた) ・・・ ポルトガル語の「CARTA」の当て字。作者は「歌留多」と「骨牌」の両方を用いている。
〇迨(およ)びて ・・・ 「及びて」に同じ。
〇絶(したたか)に ・・・ 強く、しっかりしているさま。
〇深切/親切(しんせつ) ・・・ 相手の身になって、その人のために何かすること。