『金色夜叉』(こんじきやしゃ)  その6    ―― カルタ会 ――


 【還暦ジジイの解説】

 明治維新後、世の中の最も大きな変化は、照明だと言われている。

 江戸時代の夜は、家の中では行灯(あんどん)、ローソク、外では灯籠(とうろう)提灯(ちょうちん)ぐらいしか無かった。

 だから、江戸の町を上空から俯瞰(ふかん)すれば、暗黒の世界だったに違いない。

 明治に入ると、家庭では石油ランプが普及し、燭台と二つが主な照明だった。石油ランプは行灯の10倍の明るさ。

 空気ランプは、石油ランプの一種で高級品。口金の下部に多くの穴をあけて空気の通りを良くし、燃焼を盛んにしたもの。

 電気による電灯は、全国で東京圏内が最も早く普及したとは言うものの、大正時代まで待たなければならない。


 追記: 白熱灯が普及し始めたのは、明治30年(1900年)頃からで、まだまだ一般家庭には無かった。
    電線工事との関係で、昭和2年(1927年)やっと一般家庭の普及率87%となった。

    当時の電力会社との契約は使用燈数制で電球は貸付け、料金は10W1灯で今の約3万円と高価で、
    各家庭では1個しかない電球を長いコードを付けて持ち回っていた。

    一般の家でトイレや廊下にまで照明器具が付いたのは、昭和25年(1950年)頃であった。
    村はずれや山奥の集落まで電気が届いたのは昭和40年(1965年)頃であった。




 【現代口語訳】

  前編 第一章  (一)の二  〔その6〕


 海で嵐に遭ったとき、少しの油を航路に注げば、波浪は()しくもたちまち(しず)まって、船は九死に一生を得るという。

 今この、いかんともし難い乱脈の座中を、その油のごとく場を支配する女王がいた。

 (たけ)ぶる男どもの心も、その女王の前では大人しくなって、ついに崇拝しない者はいなかった。

 他の女たちは、(ねた)みながらも(おそ)れを抱いた。

 女王は、広間の中央の柱の脇に身を寄せ、重たげに(いただ)いた夜会結(やかいむす)びの髪形に薄紫(うすむらさき)のリボン、縮緬(ちりめん)の羽織姿。


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 彼女は、この騒ぎを興味深くも涼しい目で眺めながらも、(しと)やかに澄ましていた。

 身だしなみから顔立ちまで水際立って、ただならない色香を含んだ姿は、これが素人かと疑われるばかり。

 カルタの一番勝負が終わるまでには、彼女が「お宮」(おみや:以下ミヤ)と言う名であると、皆に知れ渡った。

 もちろん他にも若い女性はたくさん居たのである。

 その中の醜女(しこめ)は、まるで子守女が借着してやって来たのか、お笑い演芸の姫君の間違いか、と思われる者もいたが、中には、二十人並、五十人並に優れた娘もいた。


 


 服装だってミヤより数段高価なものを着ている娘は多くいた。

 ミヤはその点においては中間位(ちゅうかんぐらい)に過ぎない。

 貴族院議員の娘だとか言う最も不器量な女が、最も外見の美しさを飾り立て、その怒り肩に三枚襲(さんまいがさね)を着て、帯は紫根七糸(しこんしちん)百合(ゆり)折枝(おりえだ)()(がね)の盛り上げにしていた。

 皆はこれが為に目が(くら)み、心も消えて、眉をしかめた。

 このほか種々色々の(きら)びやかな衣裳の中に立ち交じっては、ミヤの装いは、(わず)かに明星(みょうじょう)の弱い輝きに過ぎないのだが、

彼女の肌の白さはどんなに美しい服の色にも勝り、そして整った顔立ちは、麗しい織物よりも綾があった。

 醜女(しこめ)たちが、どれだけ着飾ろうがその(みにく)さを隠すことはできないように、ミヤは貧弱な装いをしても、その美しさを損なうことはなかった。



 【原文】  註:旧かな遣い、正漢字。ルビは参照文献のまま。

  前編 第一章  (一)の二  〔その6〕


 海上風波の(なん)に遭へる(とき)若干(そくばく)の油を取りて航路に(そそ)げば、(なみ)(くし)くも(たちま)(しづま)りて、船は九死を()づべしとよ。

 今此(いまこ)如何(いかに)とも()べからざる亂脈(らんみゃく)座中(ざちゆう)をば、(その)油の勢力をもて支配せる女王(によおう)あり。

 (たけ)びに猛ぶ男たちの心も其人(そのひと)の前には(やはら)ぎて、(つい)崇拜(すうはい)せざるはあらず。

 女たちは皆(そね)みつゝも(おそれ)(いだ)けり。

 (なか)()なる團欒(まどい)柱側(はしらわき)に座を占めて、(おも)げに(いただ)ける夜會結(やくわいむすび)淡紫(うすむらさき)のリボン(かざり)して、小豆鼠(あづきねずみ)縮緬(ちりめん)羽織(はおり)を着たるが、

 人の打騒(うちさわ)ぐを(きやう)あるやうに(すずし)き目を(みは)りて、(みづから)(しとやか)かに引繕(ひきつくろ)へる娘あり。

 粧飾(つくり)より相貌(かほだち)まで水際立ちて、(ただ)ならず(こび)を含めるは、色を()るものの(かり)の姿したるにはあらずやと、始めて彼を見るものは皆疑へり。

 一番の勝負の()てぬ間に、(みや)といふ名は(あまね)く知られぬ。

 娘も數多(あまた)居たり。

 (みにく)きは、子守の借着(かりぎ)したるか、茶番の姫君の戸惑(とまどひ)ひせるかと(おぼし)きもあれど、中には二十人並、五十人並(すぐ)れたるもありき。

 服装(みなり)は宮より數等(すうとう)立派なるは數多(あまた)あり。

 彼は其點(そのてん)にては(ちゆう)(くらゐ)に過ぎず。

 貴族院議員の愛娘(まなむすめ)とて、最も不器量(ふきりよう)を極めて遺憾(いかん)なしと見えたるが、

最も綺羅(きら)を飾りて、(その)起肩(いかりがた)紋御召(もんおめし)三枚襲(さんまいがさね)(かつ)ぎて、

(おび)紫根(しこん)七絲(しちん)百合(ゆり)折枝(をりえだ)縒金(よりきん)盛上(もりあげ)にしたる、

人々之(ひとびとこれ)(ため)に目も()れ、心も消えて(まゆ)(しわ)めぬ。

 此外(このほか)種々色々(さまざまいろいろ)絢爛(きらびやか)なる(なか)(たち)(まじ)らひては、

宮の(よそほひ)(わづか)(あかつき)の星の光を保つに過ぎざれども、彼の色の白さは如何(いか)なる(うつくし)染色(そめいろ)をも奪ひて、

彼の整へる(おもて)如何(いか)なる(うるはし)き織物よりも文章(あや)ありて、

(みにく)き人たちは如何に着飾らんとも()の醜きを(おほ)(あた)はざるが如く、

彼は如何(いか)に飾らざるも()(うつくし)きを(がい)せざるなり。


 【意訳】

  前編 第一章  (一)の二  〔その6〕    ―― カルタ会 ――


 海で嵐に()ったら、少量の油を航路に注げば、波は静まって船は助かるという。

 今、狂乱の座中で、その油のごとく場を支配する女性がいた。

 荒くれる男たちも、彼女の前では大人しくなり、しまいには崇拝(すうはい)するに至った。

 他の女たちも彼女を(ねた)みながらも(おそ)れた。


 広間の中央の柱に身を寄せ、夜会巻(やかいま)きの髪に薄紫のリボン、紫色の縮緬(ちりめん)の羽織。

 彼女は、騒ぎを興味深くも涼しい目で(なが)めながらも、(しと)やかに()ましていた。

 身だしなみから顔立ちは、際立って美しく、妖艶(ようえん)さは、これが素人か、と疑われるほどだった。

 カルタの一番勝負が終わる頃には、彼女の名が「ミヤ(宮)」であると、皆に知れ渡った。


 彼女以外にも、若い女性は多く居た。

 その中には子守女が借着(かりぎ)して来たのか(笑)、

 お笑い演芸の姫君役か(爆笑)

 と思われる者も居たし、五十人並みに可愛い娘も居た。

 高価なものを着ている娘は沢山いた。

 ミヤはその点、人並みで質素な装だった。


 貴族院議員の娘とか言う醜女(しこめ)が一番(にぎ)やかに飾り立て、目も眩むほどだったが、却って、皆の顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。

 ミヤの装いは目立たなかったが、肌の白さはどんなに美しい服の色をも(かす)ませてしまった。

 着飾った娘たちは、ミヤの引き立て役でしかないかの様だった。


 【語彙解説】  註:緑色文字は新かな遣い、新漢字。


〇團欒/団欒(まどゐ/まどい/だんらん) ・・・ 1.集まって車座に座ること。まどい。 2.親しい者たちが集まって楽しく時を過ごすこと。

〇夜會結/夜会結び(やかいむすび)/夜会巻き(やかいまき) ・・・ 髪形の一種。鹿鳴館(ろくめいかん)時代に流行した女性の束髪(そくはつ)。後頭部で髪を束ね、頭頂の方へ左右からねじり合せてピンで留めた髪形。


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