『金色夜叉』(こんじきやしゃ) その2 ―― 正月、凍てつく街 ――
【還暦ジジイの解説】
この小説が書かれた当時は、未だ映画が輸入されていない頃である。
にも拘らず、序幕は、カラー映像、音などを大いに想像させる描写であり、まるでカラー映画の発明を予見し、
その脚本を書いたかのような小説である、と後世に高く評価されている。
【現代口語訳】
前編 第一章 〔その2〕
元日快晴、二日快晴、三日快晴と記された日記を傷つけて、この黄昏から木枯らしがそよぎ始めていた。
今は「風よ吹くな、なあ吹くな」と優しい声でなだめる者もないので、怒りを増したかのように飾り竹を揺らし、
枯れた葉を荒々しく鳴らして、吼えては走り行き、狂っては引返し、はげしく揉みあってひとり散々に騒いでいた。
かすかに曇った空はそのために眠りを覚まされた様子で、銀梨子地のように無数の星を現し、
鋭く冴えた光が寒気を発するかと思わせるほど、その薄明りに晒された夜の街はほとんど凍ろうとしていた。
【原文】 註:旧かな遣い、正漢字。ルビは参照文献のまま。
前編 第一章 〔その2〕
元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌されたる日記を瀆して、此黄昏より凩は戰出でぬ。
今は「風吹くな、なあ吹くな」と優き聲の宥むる者無きより、憤をも增したるやうに飾竹を吹靡けつゝ、
乾びたる葉を粗なげに鳴して、吼えては走行き、狂ひては引返し、揉みに揉んで獨り散々に騒げり。
微曇りし空は之が爲に眠を覺されたる氣色にて、銀梨子地の如く無數の星を顯して、
鋭く沍えたる光は寒氣を發つかと想はしむるまでに、其の薄明に曝さるゝ夜の街は殆ど氷らんとするなり。
【意訳】
前編 第一章 〔その2〕 ―― 正月、凍てつく街 ――
正月三ヶ日が快晴続きだったのが気に入らなかったかのように、夕刻から木枯らしが吹きはじめた。
「そんなに吹かないでよ」と気遣かう者もいないので、木枯らしは益々怒って吹き荒れた。
やや曇っていた空は、目を覚ましたのだろう、無数の星が瞬き、鋭く冴えた光は一層寒さを際立たせた。
夜の街は、凍りつこうとしていた。
【語彙解説】 註:緑色は新かな遣い、新字体。
〇銀梨子地(ぎんなしぢ/ぎんなしじ) ・・・ 梨子地の一つ。銀粉をほどこした梨子地。
梨子地(なしじ) ・・・ 蒔絵の一種。漆塗りの面に梨子地粉を蒔き、梨子地漆を塗って粉を覆い、粉を研ぎ出さずに漆を透かして見せる法。
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