『金色夜叉』(こんじきやしゃ) その1 ―― 正月、凍てつく街 ――
【現代口語訳】
前編 第一章 〔その1〕
まだ日が暮れたばかりだというのに、松飾りの立った門は一様に閉ざされて、真っ直ぐに長く東から西に伸びる大通りは掃いたかのように物の影もなく、
ひどく寂しく往来の絶えたところに、時折の車輪のきしむ音は、あるいは忙しく、
あるいは飲み過ぎた年賀の帰りに違いなく、切れ切れに聞こえる獅子舞の太鼓の遠い響きは、
とうとう今日で終ってしまう正月三ケ日を惜しむようで、その哀切さが子供の心を切り刻む。
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【原文】 註:旧かな遣い、正漢字。ルビは参照文献のまま。
前編 第一章 〔その1〕
未だ宵ながら松立てる門は一樣に鎖籠めて、眞直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、
いと寂しくも往來の絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾は、或は忙しかりし、
或は飮過ぎし年賀の歸來なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、
はや今日に盡きぬる三箇日を惜むが如く、其の哀切に小き膓は斷れぬべし。
【意訳】
前編 第一章 〔その1〕 ―― 正月、凍てつく街 ――
まだお正月で、日が暮れたばかりなのに、どの家も門を閉ざしている。
町の真ん中を東西に貫く大通りは、掃いたかのように誰もいない。
往来が絶えた中に、人力車のきしむ音が忙しく聞こえる。
年始回りの帰りだろうか。
かすかに聞こえてくる獅子舞の太鼓の音が、正月三ケ日の終わるのを惜しむかのようだ。
正月を楽しみにしていた子供たちは、胸が張り裂けんばかりだろう。
【語彙解説】
〇鎖籠(さしこ)める ・・・ 中に入れて堅く閉じる。
〇輾(きしり) ・・・ 「軋」とも書く。堅いものが強く触れ合って出した音。摩擦して出す音。
「きしる」は、特に、車輪が摩擦で音をたてるほど車を疾走させること。きしませる。
当時の人力車は、ゴムのタイヤではなく鉄の車輪だったので、かなり五月蠅い音をたてていた。
〇小(ちいさ)き膓(はらわた) ・・・ 子供ごころ。