「洪水天に滔る」 その1 ~父を殺された遺恨が禹には無ったのか?~
【還暦ジジイの説明】
「洪水天に滔る」には二つの大きな意味がある。
一つは、チャイナに於いて、洪水というものが、帝位を揺るがすほどの大災害だったこと。
もう一つは、世界中で大洪水の記録が残っているのだが、なんと全て神話の時代なのだ。
今回は前者について書いてみる。
チャイナには、神話の王朝として、夏殷周という三代の王朝があったとされている。
夏王朝(前2100年頃~前1600年頃)は、チャイナの史書には初代の禹から末代の桀まで17代、ほぼ471年続いたと記録にある。
『尚書』「堯典」によれば、夏王朝の前、堯帝の時代に大洪水が起こった。
堯帝は禹の父親である鯀に治水を命じましたが、九年経っても成果が上がらなかった。
その上、帝の息壌を盗んで洪水を塞いだのだが、帝の怒りを買って殺された。
よって、鯀の治水事業は失敗に終りました。
その後、治水事業を受け継いだのが息子の禹。
禹は治水に成功しました。
その成功要因は、一体なんだったのか?
色々と当時の人や後世の人たちが理由づけをしますが、よく解りません。
まあ、どうであれ、この治水の功績により、堯帝の後を嗣いだ舜帝から、禹は帝位を譲られました。
ひえ~!
でしょう?
後世では、帝位を争って、血を血で洗う争いが繰返されるのに・・・
譲った舜帝も凄いですが、帝位を受けた禹も凄い。
大体から、治水事業に失敗したとは言え、父・鯀を殺された遺恨が禹にはなかったのでしょうか?
後世の春秋戦国時代なら、謀反を起こしても可笑しくない。
治水事業を継ぐように指名されても、私なら断ってしまう。
失敗したら殺されてしまう。命懸けなんですよ。
禹は、叡智と先見性を具えていただけでなく、心の広い男だったんでしょうねえ。
そして、些末な人間の恨みなんかで争っている場合じゃない、と判断したんでしょう。
恐らく夏の時季に台風が頻繁に来襲し、大洪水が起こり、田畑や家屋を押し流していたんでしょう。
それも、小さな村落の一つや二つではなく、黄河や揚子江周辺一帯を全て水浸しにした。
今の日本での自然災害が、毎年、全国各地で起こっているようなもの。
よく考えてみると、自然災害は、大きな戦争と同じです。
天災か人災の違いだけで。
だから、治水事業を成功させれば、大戦争に勝った将軍みたいなもだった。
それは、神に匹敵する、と評価されたんでしょうねえ。
【追記】
因に、後世、禹は、堯・舜らと並べて聖人として尊敬されました。
この聖人とする評価を広めたのが孔子を始めとする儒家の人たちでした。
孔子自身は「述べてつくらず、信じて古を好む」(『論語』述而)と言っており、
「自分はなにも創造的なことを言っているわけではない、昔のことを言っているだけだ」と述べています。
そして、君主は、これら聖人の行いを手本にせよ、と、と説いたんですね。
本当にそうですね。
今のウクライナは、大洪水以上の災難を被っています。
プーチン大統領は、禹のような心広い聖人を見倣って欲しいものです。
【故事】
〔原文〕
【語彙説明】
〇洪水/鴻水(こうずい) ・・・ 大雨、雪どけなどのため、河川の水が増加して溢(あふ)れるばかりになること。また、その水が堤防を破って流れ出ること。おおみず。
【プロフィール】
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