句践はなぜ文種を殺したか?  第一話


チャイナ春秋時代の越王・勾践(こうせん)は、春秋五覇に数えられるまでに()()がった。

宰相(さいしょう)文種(ぶんしょう)と軍師・范蠡(はんれい)は、その功労者の双璧(そうへき)

悲願が達成されて
有頂天になる勾践を見て、范蠡は(ひそ)かに越を脱出した。

范蠡は文種への手紙の中で

「私は『
狡兎(こうと)死して走狗(そうく)()られ、飛鳥(ひちょう)尽きて良弓(りょうきゅう)(かく)る』と聞いています。

越王の
容貌(ようぼう)長頸烏喙(ちょうけいうかい)です。

こういう人相の人は苦難を共にできても、歓楽は共ににできない。

どうして
貴方(あなた)は越から逃げ出さないのですか」

と書いた。


そこで文種は災いを避けるため病と称して出仕(しゅっし)しなくなったが、文種に謀反(むほん)の疑いあり

讒言(ざんげん)する者が現われた。

勾践は文種に剣を贈り、

「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。

残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった
父王(ふおう)のもとでその秘策をお試し下さい」

と伝え、文種を
自殺に追いやった。



  



【解説】

 狡兎走狗(こうとそうく)  鳥尽弓蔵(ちょうじんきゅうぞう)

  【意味】狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう。

 「
長頸烏喙(ちょうけいうかい)

  【意味】首が長くて口がくちばしのようにとがっている。


 次の噺          歴史     TOP-s