曹操は、なぜ空の重箱を贈ったのか?  第三話


チャイナ、三国志時代。

曹操(そうそう)の智謀・荀彧(じゅんいく)は、多くの功績をたて、曹操を天下人へと()し上げた。

しかし、晩年、曹操が皇位
簒奪(さんだつ)を目論んだとき、猛然と異をとなえ、亀裂(きれつ)が生じた。

その後、荀彧は病と称して重臣から退いたが、曹操の批判を公然とした。

曹操の息子達とも衝突した。


曹操は、病に伏せる荀彧へ重箱に果物を
()れて贈った。

受け取った荀彧は、
(いぶか)しみながら重箱を開けると、中は空っぽだった。


  



(しば)し考え、荀彧は大笑した。

そして、後日、自刃して果てた。

曹操は、その三年後に魏王の位について、帝国への道を
(ひら)いた。



まあ、荀彧は殺された様なものですが、曹操を公然と批判したのですから、仕方ないですねえ。

春秋時代の越の文種(ぶんしょう)は、越王・句践(こうせん)を非難していないのに自刃を迫られました。



それにしても、昔のチャイナの権力者は、功労者を殺す癖がありますねえ。

えっ!?今も同じ?(笑)



 (追記:吾が友との呑み会の為に)



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