伍子胥は、なぜ河を渡れたか?  第二話


チャイナ春秋時代、楚国の伍子胥(ごししょ)は、平王に父と兄を殺されて呉国を目指して遁走(とんそう)した。

勿論(もちろん)、追手が放たれ、指名手配の似顔絵が関所に届いていた。

伍子胥は、
容貌魁偉(ようぼうかいい)な大男である。

名を変え、
風貌(ふうぼう)を装っても、怪しまれる。


途中、何度も河を渡らなければならなかった。

正規の船着場には、追手や役人が居る。


()る河を前にして、一(そう)の小舟が寄って来た。



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ところが、一旦寄って来た舟は、再び、遠ざかった。

船頭は、歌を唄った。

人目があるから、また後で来る。


と言う底意と汲み取った。

伍子胥は、草叢(くさむら)で夜まで待った。


案の定、舟は再び来た。

伍子胥は、無事に向岸に着いた。

そして、船頭に訊いた。

「私と知って乗せたのか?」


「そうだ」と船頭は頷いた。

「私を突き出せば、大金を得られるのに、なぜ、そうしないのか?」

と、更に伍子胥は、問うた。

それは、弱い者を助けるのが家訓だから、と船頭は答えた。

昔から、庶民は正義に味方すると伝えられている。


しかし、なお疑心を抱く伍子胥に、船頭は、清廉潔白を静かに訴え、自ら舟を沈め入水した。

なんと美しい挿話であろうか!

敦朴(とんぼく)とはこのこと!



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な~んて、ね。

まあ、こんなの作り(ばなし)である。

当然ながら、伍子胥が、斬殺(ざんさつ)した。

後世の人が、伍子胥を英雄に祭らんが為に話を改竄(かいざん)したのである。

春秋戦国時代、王や武将などは、庶民の命など虫螻(むしけら)同然に考えていた。

それが常識であった。

現世の常識や物差しで測ってはならない。




 追記(友人との呑み会の為に)



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