岳陽楼の記(がくようろうのき)   作:范仲淹(はんちゅうえん)


【還暦ジジイの説明】

 チャイナ、北宋(ほくそう)の范仲淹が書いた360字の散文。慶暦(けいれき)六年(1046年)の作。

 范仲淹と同年の進士・滕宗諒(とうそうりょう)、字は子京(しけい)が湖南省の岳州に流され、岳陽楼を改修したとき、

記念のため、同じく左遷(させん)されていた范仲淹に依頼したもの。

 後半の「嗟夫(ああ)」から始まる部分は、優れた人物は環境や個人、また、そのときどきの立場によって感情を左右されてはならず、

 「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」ものである、と謳っている。

 いわゆる「先憂後楽(せんゆうこうらく)」と約され、政治家としての守るべき態度として有名である。

 東京都文京区の「後楽園」の名も、この名文句から水戸光圀(みとみつくに)公が命名したのだそうだ。



【原文1】


  岳陽樓記  范仲淹


 慶曆四年春、滕子京謫守巴陵郡。

 越明年、政通人和、百廢倶興。

 乃重修岳陽樓、增其舊制、刻唐賢今人詩賦於其上、屬予作文以記之。


【書き下し文1】


  岳陽楼の記(がくようろうのき) 作:范仲淹(はんちゅうえん)


 慶歷(けいれき)四年春、滕子京(とうしけい)(たく)せられて、巴陵郡(はりょうぐん)(しゅ)たり。

 越えて明年(みょうねん)(まつりごと)(つう)人和(ひとわ)し、百廢(ひゃくはい)(とも)(おこ)る。

 (すなわ)ち重ねて岳陽楼を修め、其の旧制(きゅうせい)()し、

 唐賢今人(とうけんきんじん)詩賦(しふ)をその上に刻まんとす。

 ()に文を作りて、(もっ)(これ)を記す。


【現代口語訳1】


 慶暦四年春、わが友滕子京は罪を得て巴陵郡の長官に左遷された。

 しかし、一年もしないうちに、大いに治績があがって治安も回復し、地域の面目を一新した。

 この機会に岳陽楼を修復して旧来の造りに戻し、壁に唐代の賢者や現代人の詩文を刻み込み、

 ついてはその趣旨を記した文章を書いて欲しいと、私に頼んできた。

 そこでこの一文を認めたのである。


【原文2】


 予觀夫巴陵勝狀、在洞庭一湖。

 銜遠山、吞長江、浩浩湯湯、橫無際涯。

 朝暉夕陰、氣象萬千。

 此則岳陽樓之大觀也。前人之述備矣。

 然則北通巫峽、南極瀟湘、遷客騷人、多會於此。

 覽物之情、得無異乎。


【書き下し文2】


 ()、かの巴陵(はりょう)勝状(しょうじょう)を観るに、洞庭の一湖(いっこ)に在り。

 遠山を(ふく)み、長江を()み、浩浩湯湯(こうこうしょうしょう)として、横に際涯(さいがい)なし。

 朝暉夕陰(ちょうきせきいん)気象(きしょう)万千(ばんせん)たり。

 これ(すなわ)ち岳陽楼の大観(たいかん)なり。

 前人(ぜんじん)(じゅつ)(そな)われり。

 (しか)れば(すなわ)ち北は巫峽(ふきょう)に通じ、南は瀟湘(しょうしょう)(きわ)む。

 遷客騒人(せんかくそうじん)、多く此に(あつ)まる。

 物を()るの(じょう)(こと)なる無きを()んや。


【現代口語訳2】


 巴陵の素晴らしい景観と言えば、洞庭湖に尽きている。

 遠い山々をくわえ込み、長江の流れを呑み込んで、湖水は広々と溢れんばかり、横に果てしなく広がっている。

 朝は朝日に照り映え、夕方には雲がかかり、その様子は千変万化(せんぺんばんか)して尽きることがない。

 これが岳陽楼からの雄大な眺めであって、これについては、先人たちが言い尽くしている。

 北は巫峽(ふきょう)に通じ、南は瀟水(しょうすい)湘江(しょうこう)につながっているので、地方に流された人々や志を得ない文人など、

 この地を訪れる者が絶えなかった。

 しかし眺めた人々の気持ちは、それぞれの境遇に応じて様々であったに違いない。


【原文3】


 若夫霪雨霏霏、連月不開、陰風怒號、濁浪排空。

 日星隱耀、山岳潛形、商旅不行、檣傾檝摧。

 薄暮冥冥、虎嘯猿啼、登斯樓也、則有去國懷鄉、憂讒畏譏、滿目蕭然、感極而悲者矣。


【書き下し文3】


 ()しそれ霪雨霏霏(いんうひひ)として、連月(れんげつ)(ひら)かず、陰風怒号(いんぷうどごう)し、濁浪(だくろう)(そら)(はい)した。

 日星(にっせい)(ひか)りを(かく)し、山岳(さんがく)形を(ひそ)め、商旅(しょうりょ)()かず、(ほぼしら)(かたむ)(かじ)(くだ)けた。

 薄暮冥冥(はくぼめいめい)として、(とら)(うそぶ)き猿()くとき、

 この楼に(のぼ)れば、(すなわ)ち国を去って(きょう)(おも)い、(ざん)(うれ)(そし)りを(おそ)れ、

 満目蕭然(まんもくしょうぜん)として、(かん)(きわ)まって悲しむ者あらん。


【現代口語訳3】


 長雨がしとしとと降り続いて、一月余りも止まず、冷たい風が吹き荒れて、(にご)った波が空に逆巻いている。

 太陽も星も雲にとざされ、山々も姿を隠し、旅人の姿も見えない。

 舟の帆柱も傾き、(かじ)も壊れている。

 夕暮れが迫って薄暗くなり、虎が()え、猿が啼く声が聞こえてくる。

 そんなときこの楼に登れば、遠く離れた故郷を思い、讒言(ざんげん)や非難を恐れて、

 目にするもの全てがもの悲しく感じられ、感極まって悲しみの情に突き動かされる者もいたに違いない。


【原文4】


 至若春和景明、波瀾不驚。

 上下天光、一碧萬頃、沙鷗翔集、錦鱗游泳、岸芷汀蘭、鬱鬱青青。

 而或長煙一空、皓月千里、浮光耀金、靜影沉璧、漁歌互答、此樂何極。

 登斯樓也、則有心曠神怡、寵辱皆忘、把酒臨風、其喜洋洋者矣。


【書き下し文4】


 若きに至りては、(はる)()(けい)(あき)らかに、波瀾(はらん)驚かず。

 上下天光(しょうかてんこう)一碧萬頃(いっぺきばんけい)沙鷗(しょうおう)翔集(しょうしゅう)し、錦鱗(きんりん)游泳(ゆうえい)し、岸芷汀蘭(がんしていらん)郁郁青青(いくいくせいせい)とす。

 (あるい)長煙一空(ちょうえんいっくう)皓月千裡(こうげつせんり)浮光(ふこう)(きん)(おど)らし、

 静影(せいえい)(へき)を沈め、漁歌(ぎょか)互ひに(こた)うるが(ごと)きに至りて、この楽しみ何ぞ(きわま)らん。

 この(ろう)に登れば、(すなわ)ち心(むな)くして(しん)(よろこ)び、寵辱(ちょうじょく)(みな)忘れ、

 酒を()って風に(のぞ)み、その喜び洋洋(よよう)たる者()らん。


【現代口語訳4】


 春ともなれば、気候も穏やかに風景も明るくなり、水面には波も立たない。

 空も水も光にあふれ、見渡す限り青一色である。

 砂浜には(かもめ)が群れ、湖水には美しい魚が泳ぎまわり、岸辺の香草(こうそう)蘭草(らんそう)は青々と茂って、

 ふくよかな香りを放っている。

 日暮れには、空一面に霞がたなびき、白い月が四方を照らし出し、波に反射してキラキラと揺れる。

 月が璧のような影を水面に落とし、(すなどり)の舟からは掛け合いの歌が流れてくる。

 ああ、なんと楽しいことではないか。

 そんなときこの楼に登れば、心はのびのびして喜びにあふれ、名誉も恥辱もすべて忘れ去り。

 杯を手にしてそよ風を受けながら、大きな喜びにひたる者もいたにちがいない。


【原文5】


 嗟夫。予嘗求古仁人之心、或異二者之為、何哉。

 不以物喜、不以己悲。

 居廟堂之高、則憂其民、處江湖之遠、則憂其君。

 是進亦憂、退亦憂。然則何時而樂耶。

 其必曰「先天下之憂而憂、後天下之樂而樂歟」。

 噫、微斯人、吾誰與歸。

                 時六年九月十五日


【書き下し文5】


 (ああ)()(かつ)(いにしえ)仁人(じんじん)の心を求むるに、(あるい)二者(にしゃ)(しわざ)に異なるは何ぞや。

 物を(もっ)て喜ばず、(おのれ)(もっ)て悲しまず。

 廟堂(びょうどう)の高きに居りては、(すなわ)ちその(たみ)(うれ)ひ、

 江湖(こうこ)の遠きに()りては(すなわ)ちその(きみ)(うれ)う。

 これ進むも(また)憂ひ、退(しりぞ)くも亦た憂うるなり。

 (しか)らば(すなわ)(いず)れの時にして(たの)しまんや。

 それ必ず「天下の憂ひに先んじて憂ひ、天下の楽しみに後れて楽しむ」と()はんか。

 (ああ)、この(ひと)()かりせば、(われ)(だれ)にか()せんや。

    時に、〔慶暦〕六年九月十五日なり。


【現代口語訳5】


 ああ、私はかつて仁人の心について考えてみたが、岳陽楼に登って悲しんだ人、喜んだ人のどちらとも違っているように思う。

 どこが違っているのか、仁人は外界(がいかい)がどうあろうと喜ぶことはないし、自分がどうなろうと悲しむこともない。

 朝廷にあっては人民のことを心配し、()にあっては君主のことを心配するのである。

 つまり、進んで仕えるときも心配し、退いて野にあるときも心配するのである。

 では、いつになったら楽しむときが持てるのか。

 その人は必ずや、「心配ごとは人民より先に心配し、楽しみごとは人民よりも後れて楽しむのだ」

 と、言うに違いない。

 ああ、こういう人物が居てくれなかったら、私は誰に従って行けばよいのか。



【語彙説明】

〇進士(しんし) ・・・ チャイナ、南宋から清の時代、科挙の登第者(合格者)を「進士」と呼んだ。




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