出師表(すいしのひょう)  作:諸葛亮


【還暦ジジイの説明】

出師表は、三国時代、北伐(ほくばつ)()討伐)に際して、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が主君の劉禅(りゅうぜん)(たてまつ)った上奏文(じょうそうぶん)

孔明は、自分を登用してくれた先帝・劉備(りゅうび)に対する恩義を述べ、討伐の決意を述べたのである。

また、国に残す若き皇帝・劉禅の心配を(さと)している。


江戸時代、この文を読んだ日本男子は涙したらしい。

きっと、理解が深かったんでしょうね。

私何ぞ、涙一つ出ない。(笑)

当時、漢籍は武家の男子では最低の教養であり、『三國志演戯』は娯楽本の(たぐい)

勿論(もちろん)白文(はくぶん)素読(そどく)できた。

昭和の英語教育―英会話は不得手だが高度な英文が読めた―と同じ。


一般に『出師表』と言えば、北伐一回目、建興五年(西暦227年)のこの文章を指すが、

翌年の『後出師表』と区別するために、『前出師表』と呼ばれることもある。


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本文を1~5に分割した。


【原文1】

臣亮言
先帝創業未半 而中道崩殂
今天下三分 益州疲弊
此誠危急存亡秋也
然侍衛之臣 不懈於内 忠志乃士 忘身於外者 蓋追先帝之殊遇 欲報之陛下也
誠宜開張聖聴 以光先帝遺徳 恢弘志士之気
不宜妄自菲薄 引喩失義 以塞忠諫之路也
宮中府中 倶為一体 陟罰臧否 不宜異同
若有作姦犯科 及為忠善者 宜付有司 論其刑賞 以昭陛下平明之治
不宜偏私使内外異法也

【原文2】

侍中侍郎郭攸之 費褘 董允等 此皆良実 志慮忠純
是以先帝簡抜以遺陛下
愚以為 宮中之事 事無大小 悉以諮之 然後施行 必能裨補闕漏 有所広益也
将軍向寵 性行淑均 堯暢軍事 試用於昔日 先帝称之 曰能
是以衆議挙寵以為督
愚以為 営中之事 事無大小 悉以諮之 必能使行陣和穆 優劣得所

【原文3】

親賢臣 遠小人 此先漢所以興隆也
親小人 遠賢臣 此後漢所以傾頽也
先帝在時 毎与臣論此事 未嘗不歎息痛恨於桓霊也
侍中尚書 長史参軍 此悉貞亮 死節之臣也
願陛下親之信之 則漢室之隆 可計日而待也

【原文4】

臣本布衣 躬耕於南陽
苟全性命於乱世 不求聞達於諸侯
先帝不以臣卑鄙 猥自枉屈 三顧臣草盧之中 諮臣以当世之事
由是感激 遂許先帝以駆馳
後値傾覆 受任於敗軍之際 奉命於危難之間
爾来二十有一年矣
先帝知臣謹慎
故臨崩 寄臣以大事也
受命以来 夙夜憂歎 恐付託不効 以傷先帝之明
故五月渡濾 深入不毛

【原文5】

今南方己定 兵甲己足
当奬率三軍 北定中原
庶竭駑鈍 攘除姦凶 興復漢室 還於旧都
此臣之所以報先帝 而忠陛下之職分也
至於斟酌損益 進尽忠言 則攸之褘允之任也
願陛下託臣以討賊興復之効
不效則治臣之罪 以告先帝之靈
若無興徳之言 則責攸之褘允等之咎 以彰其慢
陛下亦宜自謀 以諮諏善道 察納雅言 深追先帝遺詔
臣不勝受恩感激 今当遠離 臨表涕泣 不知所云


【読み下し文1】

臣亮(もう)す。
先帝創業(いま)(なか)ばならずして、中道に崩殂(ほうそ)せり。
今、天下三分し益州は疲弊す。
此れ誠に危急存亡の(とき)なり。
然れども待衛(じえい)の臣、内に(おこた)らず、忠志の士、身を外に忘るるは、
(けだ)し先帝の殊遇を追い、これを陛下に報いんと欲すればなり。
誠 に宜しく聖聴(せいちょう)を開張し、以て先帝の遺徳を(かがや)かし、
志士の気を恢弘(かいこう)すべし。
宜しく(みだ)りに自ら菲薄(ひはく)し、(たと)えを引き義を失い、
もって忠諌(ちゅうかん)(みち)(ふさ)ぐべからず。
宮中府中、(とも)に一体と為り、臧否(ぞうひ)陟罰(ちょくばつ)するに、
宜しく異同あるべからず。
若し(かん)()し科を犯し、及び忠善を為す者有らば、
宜しく有司(ゆうし)に付して、其の刑賞(けいしょう)を論じ、
以て陛下平明の治を(あき)らかにすべし。
宜しく偏私(へんし)して、内外をして法を異にせしむべからず。

【読み下し文2】

侍中・侍郎郭攸之(かくゆうし)費褘(ひい)董允(とういん)等は、
此れ皆良実にして志慮(しりょ)忠純なり。
是を以て、先帝簡抜(かんばつ)して以て陛下に遺せり。
愚以為(ぐおもえ)らく宮中の事は、事大小と無く、(ことごと)く以てこれに(はか)り、
自然(しか)る後に施行せば、必ずや()闕漏(けつろう)裨補(ひほ)し、広益する所有らんと。
将軍・向寵(しょうちょう)は、性行淑均(しゅくきん)、軍事に曉暢(ぎょうちょう)す。
昔日に試用せられ、先帝これを称して能と()えり。
是れを以て衆議寵を挙げて督と為す。
愚以為(ぐおもえ)らく営中の事は、事大小と無く、悉く以てこれに諮らば、
必ずや能く行陣(こうじん)をして和穆(わぼく)し、優劣をして所を得しめんと。

【読み下し文3】

賢臣に親しみ、小人を遠ざくる、此れ先漢の興隆せし所以(ゆえん)なり。
小人に親しみ、賢人を遠ざくる、これ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。
先帝(いま)しし時、(つね)に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て桓・霊に嘆息痛恨せずんばあらざりしなり。
侍中・尚書、長史・参軍は、此れ悉く貞亮(ていりょう)死節の臣なり。
願わくは陛下これに親しみこれを信ぜよば、(すなわ)ち漢室の隆んなること、
日を計りて待つ可きなり。

【読み下し文4】

臣は(もと)布衣(ほい)、南陽に躬耕(きゅうこう)す。
(いや)しくも性命を乱世に全うせんとし、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。
先帝、臣の卑鄙(ひひ)なるを以てせず、(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)し、
臣を草盧の(うち)に三顧し、臣に()うに当世の事を以てせり。
是に()りて感激し、遂に先帝に許すに駆馳(くち)を以てす。
後、傾覆(けいふく)()い、任を敗軍の際に受け、(めい)を危難の(かん)に奉ず。
爾来(じらい)二十有一年なり。
先帝、臣が謹慎を知る。
故に崩ずるに臨んで臣に寄するに大事を以てせしなり。
命を受けて以来、夙夜(しゅくや)憂歎(ゆうたん)し、付託(ふたく)の効あらずして、
以て先帝の明を(そこな)わんことを恐る。
故に五月()を渡り、深く不毛に入れり。

【読み下し文5】

今、南方(すで)に定まり、兵甲已に足る。
当(まさ)に三軍を奨率(しょうすい)し、北のかた中原を定むべし。
(こいねが)わくは駑鈍(どどん)(すこ)し、姦凶(かんきょう)攘除(じょうじょ)し、
漢室を興復(こうふく)し、旧都に(かえ)さん。
此れ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。
損益を斟酌し、進んで忠言を尽くすに至りては、
則ち攸之(ゆうし)()(いん)の任なり。
願わくは陛下臣に託するに賊を討ち興復するの(こう)を以てせよ。
効あらずんば則ち臣の罪を治め、以て先帝の霊に告げよ。
若し徳を興すの言無くんば、則ち攸之・褘・允の咎を責め、
以て其の(まん)(あらわ)せ。
陛下も亦宜しく自ら謀り、以て善道を諮諏(しゅし)し、
雅言(がげん)察納(さつのう)し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣、恩を受けて感激に()えず。
今、遠く離るるに当り、表に臨んで涕泣(ていきゅう)し、云う所を知らず。


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