君不見簡蘇渓(くんふけん そけいに かんす)
【還暦ジジイの説明】
蘇渓とは、杜甫の友人の息子。
彼は、世間に認められないことに落胆して、山中に潜み虚しい日々を過ごしていた。
この詩は、杜甫が彼を励ます為に手紙に代えて送ったものである
最後の一行に、私はクスッとした。
蘇渓はその後、下山したらしい。
説得力があったんですね。(笑)
【原文】
君不見簡蘇渓 杜甫
君不見道辺廃棄池 君不見前者摧折桐
百年死樹中琴瑟 一斛旧水蔵蛟龍
大夫蓋棺事始定 君今幸未成老翁
何恨憔悴在山中 深山窮谷不可処
霹靂魍魎兼狂風
【読み下し文】
君見ずや、蘇渓に簡す
君見ずや道辺廃棄の池。君見ずや前者催折の桐。
百年の死樹琴瑟に中り。一斛の旧水蛟竜を蔵す。
大夫棺を蓋いて事始めて定まる。君今幸に未だ老翁と成らず。
何ぞ恨まん憔悴して山中に在るを、深山窮谷処る可からず。
霹靂魍魎兼ねて狂風。
【現代口語訳】
見たまへ道端にすたれてをる池を。
見たまへむかし催折された桐を。
之を造り用ふれば琴瑟の用に中ることがある。
一斛ばかりしかない古い水にも蛟竜が蔵れひそんでいる。
(君はその竜の如く、桐の如きものだ。)
大丈夫の仕事は棺桶に蓋をされてから始めて是非の論が定まるものだ。
君は今幸にまだ(若い)老翁となったわけではない。
やつれて山中に居て、(世間を)恨む必要はない。
君の様な(優秀な)人物は此の地の如き深山幽谷に処るのはよろしくない。
そこは霹靂や魍魎がある上に、さらに強風まで吹いている悪い場所だ。
(そんな山小屋は、雷は落ちるし、強風で吹き飛ばされるだろう。それに、お化けが出るぞ!)
【意訳】
人の正当な評価は死後にしかないんだ。焦るな。焦るな。
君はまだ若く、まだ何も成し遂げていないんだし、隠居する身じゃあないだろう。
拗て、時間を無駄にすべきじゃない。
じゃないかい?
大体から、君が今居る山奥の小屋は、悪天候なら、強風で吹き飛ばされるだろう。
それに・・・・・・お化けも出るぞ。(笑)
【語彙説明】
〇「君不見」は杜甫が得意とする常套句。楽府の形の一つである。
〇簡(かん)・・・手紙の意。
〇前者(ぜんしゃ)・・・以前。下の句の「百年」を指す=「百年前」。
〇摧折(さいせつ)・・・樹木などが折れること。
〇桐(きり)・・・琴の材料になる。
〇一斛(いっこく)・・・約60リットルか?。約180リットルとも。どちらにしても巨大な竜が棲める量ではない。
〇丈夫(たいふ)・・・一人前の男。
〇憔悴(しょうすい)・・・やつれるさま。
〇窮谷(きゅうこく)・・・奥深い谷。山峽の谷間の夔州(きしゅう、現在の重慶)。
〇霹靂(へきれき)・・・落雷。
〇魍魎(もうりょう)・・・山中の妖怪。
〇狂風(きょうふう)・・・激しい風。
【人物プロフィール】
〇杜甫(とほ)
盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。
祖父は初唐の詩人、杜審言。
若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。
安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。
その翌年左遷されたため官を捨てた。
四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。
チャイナ最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。
【還暦ジジイの感想】
この短い詩は、名文中の名文ではないか、と、私は思っている。
最後の一行は、小さな子供が拗ねて納戸に閉じ籠った時に、戸の外から「お化けがでるぞ~」と怖がらせるに等しい。
蘇渓は、三十歳前後の成人男性である。
その男に対して「お化けがでるぞ~」は、失笑を買う。
この一行が無ければ、蘇渓は、フンと嘲笑って、反発したに違いない。
言われなくても分かっている、と。
中途半端に中学生くらいの子が相手なら、激怒させたに違いない。
子ども扱いするな!、と。
この一行は、頑かたくなな心を和らげることに功を奏した。
兎に角、人を動かしたのだから、凄い。