ちょっと一服  その99 人面桃花(じんめんとうか)              2025.1.17


明治の漢詩人・大沼沈山(おおぬまちんざん)は、友人・大窪詩仏(おおくぼしぶつ)が七十歳で亡くなったとき、哀悼の七言律詩(しちごんりっし)を書いた。

その第一句が、「満面桃花七十春」。

しかし、何の知識も無く読んでも、チンプンカンプン。

漢詩は、人名・地名・故事の知識が無ければ、全く理解できない。

今回は、「人面桃花」の故事が背景にある。(詳しくは下記に)


故事を胸に、私流に意訳すると、


 恋慕うが如き友人の詩仏が、七十歳の春、()ってしまった。

 永らく会っていなかったのが、悔やまれる。

 彼は、抱き起したら、目を醒ましてくれるだろうか。



と、なるのである。

これが正しいかどうか、定かでない。

しかし、私は、大満足。心躍るのである。

凄いな~、と、唯々(ただただ)、歎息するのである。

たった、七文字で、こんな想像をさせ、愉しませてくれる。

だらだらと長ったらしい文章は要らない。

寧ろ、短いからこそ、深くなる。


病気療養中の友人が居る。

この故事を追って図書館へ通い、理解したとき、彼のことで胸が一杯に成った。

そのとき、大沼沈山を身近に感じたから不思議である。


それにしても、漢詩って、(おつ)な暗号文だなぁ~、と、益々、興味を覚える。


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【人面桃花の伝奇】

才能も容貌もすぐれている崔護(さいご)は、散歩の途中で見知らぬ別荘に着いた。

水を無心したところ、娘が、門を開き、床几(しょうぎ)を置き、一杯の水を出してくれた。

娘は、小さな桃の木に身を預け立ち、こちらを見ていた。

二人は見つめ合った。

話しかけてみたが、彼女は返事をしない。

しかし、互いに好意を持ったことは、感じ取った。

その日は、それで帰った。

翌年の同じ日、別荘を訪れたが、留守だった。

彼は、門扉(もんぴ)に詩を書きつけた。

それから、数日後、別荘へ行くと、一人の老人が出て来て言った。

娘は昨年から元気を無くしていたが、門の詩を読んで病に成り、先日、とうとう亡くなった、と。

護は、深く感動し、娘に会わせてくれと頼んだ。

護は、娘の遺骸(いがい)を抱き、絶叫した。

すると・・・

なんと、娘は生き返った。


と、言う伝奇で、「人面桃花」の四字熟語、故事で有名。

話は単純な恋愛物だが、心をキュンとさせてくれる。

この話が胸にないと、冒頭の「満面桃花七十春」に想像は膨らまない。


【簡略化した説明】

四字熟語: 人面桃花 (じんめん-とうか)

意味: 恋い慕う女性に会えないこと。

「人面」は美しい女性の顔。「桃花」は植物の桃の花。

唐の詩人の崔護は、ある桃の木の下で美しい女性に会い、その女性と互いに惹かれあったが、その時はそのまま別れた。

崔護はその女性を忘れられず、次の年にまた訪ねたがその女性に会うことができず、詩を残して去ったという故事から。

出典 : 『本事詩』「情感」


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