春本版『四畳半襖の下張』(よじょうはんふすまのしたばり)

 18歳未満入室禁止です!(笑)


 私流の現代口語訳 全文(8)


三度の飯は常食で、美味しい料理が山をなすとも、午後には”おやつ”もよし。

仕事帰りの屋台の(すし)にも、忘れがたい味がある。

女房は三度の飯なり。


鮓に舌鼓(したつづみ)を打ったからと言って、三度の飯が要らないという訳ではない。

家に決まった三度の飯があればこそ、間食の贅沢を語れるのだ。

この(ことわり)を知れば女房たるものは、ちっとも焼餅を焼くことはない。


私は袖子のセックス上手に(おぼ)れ、金回りがよい時は、四日五日と、遠出を続け、

温泉宿の湯船の中、また海水浴では浅瀬の砂の上と、所を選ばず淫楽(いんらく)の様々をし()くした。


そして()きた挙句(あげく)浮気沙汰(うわきざた)を起こせば、切れる切れないとお定まりのゴタゴタで、一時(いっとき)は別れた。

しかし、いつか()棒杭(ぼっくい)に火がついて(より)りを(もど)すと、

その当座は初めてのセックスにも勝る格別の味だった。


昼遊びの他の客が、離れ座敷を一日借り切っていると、待合の商売だというのに、私は無闇と機嫌が悪くなる。

空いた座敷へ床を敷き延べる間も待ちきれず、金庫の扉を楯に帳場で居茶臼(対面座位)での乱行に至り、

女中に(のぞ)れたのも一度や二度ではない。


夜はよっぴいての襖越しの(すす)り泣きに、「そりゃあ一通りや二通りの情交ではないのよ」と、

女将(おかみ)や女中が、(うわさ)をするのを耳にしたので、流石に気まりが悪かった。


しかし、それは所詮(しょせん)それだからと、また折々の間食(情交)は辞められないのは仕方ない。

私は、無類の美食家な上に間食もしたい欲張り者だから、並大抵の遊びでは満足しない。


神楽坂、富士見町、四谷、渋谷の山手(やまのて)(あた)りには、いずれも寝るのが専門の女がいた。

下町と違って、待合茶屋から客に口を掛ける折りも、「身体の都合はどうか」と念を押すほど、

その道については優れた女が居る土地柄だ。


大勢の前で裸踊りをするなんぞはお茶の粉さいさいで、人の見る前でも平気でフェラして射精させる酌婦(しゃくふ)もいれば、

旦那二人を芸者屋の二階と待合茶屋にそれぞれ泊まらせて、巧みに掛け持ちする女もいる。


昼でも夜でも御指名があれば、断ることなく、掛持ちで引き受けて、見事に満足させて帰らせる。

それだけじゃない。

旦那が来なくて、お座敷がないときは、抱え芸者の誰彼を選ばずに、一緒に昼寝をさせ、

「お前は花魁(おいらん)におなり、私はお客になるから、女郎屋ゴッコをしよう」

と、冗談めかしに足を絡ませているうちに、

「何を恥ずかしがってるんだよ。もっと上の方。十八にもなってまだ知らないのかい?呆れたねえ」

と、自分から唾をつけて、指をもち添えてアソコをいじらせ、一人腰を遣う稀代の淫乱も居た。

相手の芸妓は、堪り兼ねて他の芸者屋に移るのだと噂話に聞いた。


お袖を気にしながらも、遥々(はるばる)山手の色町に足を運んだ。

上玉三円並二円で、すぐ寝る便利な女を選んで、好き勝手な真似のし放題。

ついには一人の女では物足りず、二人三人を裸にして左右に寝かせ、

女の(はずか)しがることを無理強(むりじ)いして楽しむなんて、我ながら正気の沙汰とは思えない。


  <お終い>



 【解説】

 著者(永井荷風)、金阜山人、古人(主人公)の3者が入れ子構造で話が構成されており、
 話し手を、それぞれ、《著者》、《山人》、《主人公》 と小文字で示す。
 話の大半は古人(主人公)であり、ページに話し手を示していない場合は、古人(主人公)である。



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