『銭形平次捕物控』 「美男番付」 二 (びなんばんづけ) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
いつも通りの八五郎と平次。
落語の熊さんと隠居の会話を彷彿とさせる面白さ。
今回は、特に八五郎が冴えています。
堪らないなあ~(笑)
【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。カッコ()内は話し手でジジイが追記しました。
(八五郎)「最初から話さなきやわかりませんがね、佐久間町の米屋の隱居藤兵衞といふのは、もう六十を越した年寄ですが、
老耄して起居も不自由なので、家の者とは別に住んで居り、孫娘のお芳とお種が介抱して居ります」
(平次) 「――」
「ところが、その孫娘のお芳といふのは、神田下谷きつての良いきりやうで、番附面では張出大關だが、版元に金をやつて、
娘番附の大關になつた、文字花やお幾とは、比べものにならないほどの綺麗な娘です」
「で?」
「そのお芳といふのが、顏にも素姓にも似合はないお轉婆者で、講中は何人あるかわかりません。
母親は義理ある仲、父親は店の忙しさで寄りつかないのを宜いことに、隱居の見舞といふことにして、若い男が入りびたりだから面白いぢやありませんか」
「ちつとも面白くないよ、さう言ふお前も、講中の一人だらうが」
「講中と言つても、あつしなんかは相手にされませんよ、遠くから吠えて見せるだけで」
「情けねえな」
<中略>
(平次)「大層卜書きが長いね」
(八五郎)「まア、我慢して聽いて下さいな、――戸を閉めると間もなく、丁度清次郎が身づくろひをして、シヤナリシヤナリと歩き始めた頃、ドタリグウと來た」
「何んだえ、そのドタリグウといふのは」
「人間の倒れた音で、お芳は膽をつぶして、下女のお種をお勝手から呼んで表戸をあけさせ、丁度二階から飛降りて來た、下男の猪之助――この男は米屋の搗き男ですが、病人と若い女ばかりでは物騷だといふので、親の指圖で米搗き男が交る/″\泊りに來ることになつて居ります」
【語彙説明】
〇文字花やお幾 ・・・ どちらも登場人物の名前。「師匠の文字花」「水茶屋のお幾」
〇お轉婆者/お転婆者(おてんばもの) ・・・ 男勝りの活発な女の子をさす。オランダ語で「慣らすことのできない」を意味する「ontembaar(オンテンバール)」からの借用という説が有力である。
〇講中(こうぢゆう/こうじゅう) ・・・ この話では、お芳のファンクラブというような意味か。
1.講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。
2.頼母子講 ・無尽講などの仲間。
〇講(こう) ・・・ 結社または結社による行事・会合である。
講の原義は「講義」「講読」の「講」であり、寺院内で仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであったが、やがて仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになった。それが転じて、民俗宗教における宗教行事を行なう集団、またはその行事・会合を指すようになった。
さらに転じて、相互扶助的な団体や会合のことを意味することもある。
1.ある娯楽をしたり親睦のために同好者が集まった寄り合い。同好会。クラブ。
2.金の融通や貯蓄などの目的で組織した一種の相互扶助の団体。頼母子講、恵比須講、無尽講など。
〇あつし/あっし ・・・ 私(わたくし)。俺。自分のこと。
〇卜書(ぼくが/とが)き ・・・ 演劇用語。戯曲のなかで、せりふ以外の、主として登場人物の動作や行動を指示する部分のことをいう。場合によっては、時代、場所、日時の指定、舞台の装置や効果の説明も含むことがある。
ト書きという言葉は、歌舞伎脚本などでせりふの後に<ト思い入れあって>と必ず<ト>を添えて書きこまれたことからきた言葉である。
〇搗き男(つきおとこ) ・・・ 米屋で米を搗く仕事をする男。玄米をついて白米にする作業。また、それをする人。米舂(こめつ)き男。