『銭形平次捕物控』 「戀をせぬ女」 六  (こいをせぬおんな)       著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


 題名「戀をせぬ女」の「戀」は、正字。新字(略字)では「恋」と書きますから、「恋をせぬ女」です。悪しからず。


 お通(つう)が殺されて、小森屋に乗り込んだ平次の取り調べは続く。


【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。カッコ()内は話し手でジジイが追記しました。


 「家の中を念入りに見たのか」

 「天井から床下まで、――それから雇人共の部屋から荷物は皆んな調べて見ましたが、銘々少しづつ溜めて居る外には、不思議なことに女の子の手紙一本、吉原細見一册無いから癪にさはるぢやありませんか」

 「そんな事が、お前の癪にさはるのか」


 <中略>


 「履物には履癖があるものだ。長く使つた草履や下駄にはその人の足跡が付いて居ると思ふ、――どうだ、この草履は汚れて濡れてゐるだけに、足癖も一と眼でわかりやしないか」

 「さう言へば、親指を蝮にして履く癖や、土踏まずの深いところは――」

 「誰だえ」

 「友吉どんの足のやうですが」


【語彙説明】


〇吉原細見(よしはら さいけん) ・・・ 江戸の吉原遊郭についての案内書。一般的な体裁は店ごとに遊女の名を記したもの。細見売が遊郭内で売り歩いていた。1880年代まdまで約160年間に亘って出版されつづけ、『役者評判記』に次いで、日本史上最も長期に亘る定期刊行物とされる。

〇細見売(さいけんうり) ・・・ 夜間に江戸市中で吉原の案内書である細見を売り歩いた者。

〇親指を蝮(まむし)にして履(は)く ・・・ 草履の爪先に力を入れ、踏みしめて歩くこと、と思われる。

 蝮指(まむしゆび) ・・・ 短指症の一種。爪や指先が、マムシの頭部のように幅が太くて短い、特徴的な形の指。親指に多い。



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