『銭形平次捕物控』 「戀をせぬ女」 二~三 (こいをせぬおんな) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
題名「戀をせぬ女」の「戀」は、正字。新字(略字)では「恋」と書きますから、「恋をせぬ女」です。悪しからず。
菊坂小町と呼ばれた美人のお通(つう)が殺されて、その取り調べに、平次は小森屋に乗り込んだ。
【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。会話の先頭のカッコ()は、還暦ジジイが追記しました。
(平次) 「皆んな顏が揃つて居たことだらうな」
(番頭) 「店へ行つたり、戸締りをしたり、小用に立つたり、顏が揃ふと言つても見張つて居たわけではございません」
(平次) 「人數はそれつきりか」
<中略>
取散らした小切れ――赤いの青いの紫の、色とり/″\の品は、一と纒めにして、部屋の隅につくねてありますが、それを染めて斑々たる乙女の血は、平次の心を暗くさせます。
鐵之助は母屋へ行つて、最初に誰をつれて來る氣でせう
<中略>
連日のお天氣で、庭はよく踏み固められ、内側には足跡もなんにも見えませんが、庭の隅の方の板塀に、三尺の切戸があり、嚴重に海老錠がおりて居るのを見ると、平次は暫らくそれを搖ぶつて居ります。
「おや、おや」
錠は嚴重に見えて居りますが、肝心の輪鍵の根が腐つて居るので、それはわけも無く拔けて、切戸はスーツと開くのです。
【語彙説明】
〇小用(しようやう/しょうよう/こよう) ・・・ 1.「こよう」(「こ」は接頭語)ちょっとした用事。2.小便をすることを遠回しにいう語。
〇つくね‐る/捏(つく)ね‐る ・・・ 無秩序に積み重ねる。
〇斑斑/斑々(はんはん/はんぱん) ・・・ まだらであるさま。色・模様などが入りまじるさま。
「まだらまだら」「ぶちぶち」「てんてん」「むらむら」とも読む。
〇母屋/母家(おもや) ・・・ 敷地内の中心になる建物。主人や家族が住む。本屋(ほんや)。
〇海老錠(えびじょう) ・・・ 1.エビのように半円形に曲がった錠。唐櫃や門扉の閂に用いる。えび。2.南京錠。
〇輪鍵(わかぎ) ・・・ 輪状になっているかけがね。わかけがね。