『銭形平次捕物控』 「群盗」 一 続き (ぐんとう) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
平次と八五郎が、観音様にお詣りした帰り、人集りを掻き分けてみると、二人の若い男女が怪我をして崩折れていた。
二人は山之助(さんのすけ)と、腹違いの妹のお比奈(ひな)と言い、父の敵を討つ為に、江戸へ来て十年。
偶然にも、数人の仲間を伴った敵と出遭って、袋叩きにされていたところに、丁度、平次が通りがかった。
平次は二人を近くの茶店へ運んで手当をし、経緯を訊いた。
【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。
「――私どもは腹違ひの兄妹で、私は山之助、妹はお比奈と申します。遠州濱松の生れで、父は榮屋といふ大きな呉服屋をいたして居りましたが、今から十年前父の山左衞門は、家中の惡侍大友瀬左衞門といふ者に討たれ、それが因で一家離散をしてしまひました」
山之助は涙ながらに――文字通り、涙に濡れて語り進むのでした。
大友瀬左衞門が榮屋山左衞門を討つたのは、少しばかり用立てた金を、やかましく取立てた怨みで、榮屋もそれで潰れましたが、大友瀬左衞門も、城下の町人を殺した罪で永の暇になり、それからは良からぬ者を集めて、自ら首領になり、海道筋を荒し拔いた上、近頃は江戸に入つて、押込強盜を働いてゐるといふ噂でした。
山之助はそれから間もなく、知邊を尋ねて江戸に入り、新鳥越の呉服屋、越中屋金六といふのに奉公して、親の敵討ちは叶はずとも、せめて父祖の家、榮屋を再興する念願に燃えて、一生懸命働いてをりましたが、
「――故郷の濱松在の叔母に預けて來た妹のお比奈が、叔母が死んで頼るところがなくなり、一人旅の苦勞を重ねて、江戸の新鳥越に、兄の私を訪ねて參りました。それはツイ二日前のことでございます」
ところが、肝腎の兄が奉公してゐる越中屋といふのは、もとは日本橋で相當の店を開いてゐたが、主人の金六が中風を患つて沒落し、今では新鳥越に引つ越して、呉服屋とは名ばかり、主人一人奉公人一人の見る影もない小布屋に成り下がり、妹お比奈が折角濱松在から訪ねて來ても、お勝手の板の間より外には、寢かす場所もないといふ有樣だといふのです。
【語彙説明】
〇因(もと) ・・・ 原因。
〇知邊/知辺(しるべ) ・・・ ゆかりある人。知り合い。知人。
〇叶(かな)う ・・・ 思い通りに実現する。願っていたことがその通りになる。 例:「念願が叶う」
〇中風(ちゅうふう) ・・・ 脳卒中発作の後に現れる半身不随のこと。
〇小布屋/小切れ屋(こぎれや) ・・・ 布地の小さい切れ端を販売する店。
〇在(ざい) ・・・ (在郷の略)いなか。在所。特に、都会から少し離れた所をいうことが多い。また、地名の下に付けても用いる。
「濱(浜)松在から訪ねて来て」とは、「浜松の田舎から訪ねて来て」の意。