『銭形平次捕物控』 「傀儡名臣」 四  (くぐつめいしん)  著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


 江戸時代は、家紋によって家柄や格(ランク)が決っていて、当然ながら、色々なエピソードがある。

 従って、家紋を使った会話に隠されたニュアンスがあったりする。

 これを読み取らないと雰囲気や意図が分らないことがあるのが、面白いところだ。

 今回の会話は関係無かったが、一つ一つ紐解いていこうと思う。


【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。


 平次は一方ならず落膽(がつかり)した樣子です。

 「これは? 親分」

 「その紋は丸に三つ引ぢやないか――おや、墓が濡れて居る、――丸に三つ引の紋を、鶴源の女中が、ありふれた丸に二つ引の紋と間違へたかも知れない。こいつはをかしいぞ」

 平次は横手へ廻つて俗名を讀むと、もう一度寺へ取つて返して、住職を叩き起しました。

 「神田の平次殿と言はれるのか。それは御苦勞なことぢや。――あれは、御旗本で御役高共四千五百石の大身、

大目附までせられた、安倍丹後守の御墓ぢや。二年前に亡くなられて、當代は安倍丹之丞樣、

お若いが、先代に(まさ)るとも劣らぬ智惠者で(のう)、早くも御役附、御小姓組御番頭(ごばんがしら)に御取立、

御上の御用で半歳(はんとし)ほど前から駿府(すんぷ)へ行つて居られる。

明日は江戸へ御歸りといふことぢや。夕景先代の御墓へ詣られたのは、多分用人の石田清左衞門殿であらう。

用人と言つても、先々代は東照宮樣御聲掛り。直參に取立を斷つたと言ふ石田帶刀(たてはき)樣で、陪臣(またもの)(さなが)ら大した家柄ぢや」

 眉の白い老僧は、こんな事まで親切に話してくれます。

 「御屋敷は何方でせう」

 と平次。

 「谷中(やなか)ぢや。三崎町で聞けば判る」

 平次は其處まで聞くと、老僧の話の腰を折るやうに立ち上がりました。

 谷中まで一走り。


【語彙説明】


〇丸に三つ引(まるにみつひき) ・・・ 家紋の一種「文様紋」。葦名盛氏、佐久間象山が使っていた。


 


〇喃(のう) ・・・ 〔感嘆詞〕人に呼びかけるとき、また同意を求めるときに発する語。もし。

〇御番頭(ごばんがしら) ・・・ 江戸時代において大番組・小姓組・書院番などの長。

〇夕景(ゆうけい) ・・・ 夕方。また、夕方の景色。

〇陪臣(またもの/ばいしん) ・・・ 陪臣(ばいしん)は、家臣(臣下)の家臣を指す語。又者(またもの)、又家来(またげらい)とも呼ぶ。陪臣に対比し、直属の家臣を指す場合には直臣(じきしん)または直参(じきさん)という。



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