『銭形平次捕物控』 「月の隈」 四 (つきのくま) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
丹次郎とは、江戸時代、為永春水が、描いて人気を博した人情本『春色梅児誉美』の主人公。
複数の女性に愛され、色男の代名詞となった。
【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。
お才は默つて顏を擧げました。確と肯定した眼差です。
少し痩立ちの淋しい姿ですが、目鼻立ちも端麗に、如何にも聰明さうで、道樂者の半次郎には、
幾らか煙たがれると言つた樣子があります。
「お前さんが土藏の前へ行つたのは、何時頃だらう。お福の後だらうと思ふが――」
「え、小僧さん達と一緒でした。私の部屋はこの通り裏口へは一番遠くなつてをりますから」
「殺された孫六を怨んでゐる者はあるまいな。この家の者で」
「あんな良い方ですもの、怨んでなんかゐるものはありません。少し固過ぎましたが、忠義一徹で、
よく奉公人達にも眼をかけてやりました」
「お前さんは?」
「私はわけても番頭さんの恩を受けてをります。私の父親が商賣で縮尻たとき、孫六さんがこの家の先代を説いて
お金を出させ、どんなに骨を折つて下すつたかわかりません。尤もそれが反つて手違ひになつたので、
番頭さんはいつでも私に、濟まない濟まないと言つてゐましたが」
二十三になる聰明な娘から、ガラツ八の引出せるのはたつたこれだけでした。
次に逢つたのは若主人の半次郎。
これは二十五といふ無分別者で、番頭の孫六が頭を押へてゐなかつたら、どんな脱線をするかわからない道樂者です。
ちよつとノツペリした丹次郎型で、言ふことは賢さうですが、鹽つ氣の足りない、何にか恐ろしく頼りないところがあります。
【語彙説明】
〇縮尻(しくじつ/しくじっ)た ・・・ やりそこなう。失敗する。過失などのために勤め先や仕事などを失う。<参考>
〇丹次郎型(たんじろうがた) ・・・ 丹次郎とは人情本の主人公。複数の女性に愛され、色男の代名詞となった。<参考>