『銭形平次捕物控』 「月の隈」 二  (つきのくま) 著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


 「おびんづる野郎」なんて耳に記憶がないですねえ。

 醜い顔を(ののし)台詞(せりふ)なんだそうです。

 八五郎が使うんですが、ピタッと来ますねえ。

 ははは

 御賓頭盧(おびんずる)様と言う十六羅漢の第一で白頭(はくとう)長眉(ちょうび)をそなえる神様なんだそうですが、

 まあ、決して、二枚目じゃあなさそうですね(笑)

 禿げ頭で、太い眉毛、太った男で腹がせり出た、ガサツな呑ん兵衛ってイメージですよね。


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【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。


 八五郎のガラツ八が、鍋町(なべちやう)の現場から()(もど)つたのは、(あく)る朝でした。

 「親分、落着いてゐちやいけませんよ。あつしが行くと、三河島(みかわしま)おびんづる野郎が來て、町内の萬屋茂兵衞(よろづやもへい)(しば)つて行くぢやありませんか」

 「おびんづる野郎てエ奴があるか、金太(きんた)親分と言へ」

 「へツ、そのおびんづる金太親分の言ひ(ぐさ)(しやく)ぢやありませんか――世間ぢや江戸の岡つ引は錢形の親分たつた一人の

やうに言ふが、お膝下(ひざもと)の鍋町に殺しがあるのに、戀女房(こひにやうぼう)(そば)から離れられないかも知れないが、

今頃子分の八五郎兄哥(あにゐ)が顏を出すやうぢや、錢形の親分も(やき)(まわ)つたね。

お氣の毒だが下手人(げしゆにん)は一と足先にこの金太がさらつて行くよ。左樣(さよう)なら――だつてやがる」

 「まさにその通りさ。なア、お靜」

 平次はお勝手にゐる女房の方を振り返つてかう言ふのでした。

 「まア」

 戀女房のお靜は消えも入りたい心持でせう。仕舞(しまい)の手を休めて、(えん)ずるのです。

 「だから親分、ちよつと行つて見て下さい。金太親分は見當違ひをしてゐるに違ひありませんよ」

 「それだけ判つてゐるなら、お前がやるがよからう。俺はまだ女房の傍が離れたくないよ」

 「ま、お前さん」

 お靜はたまり(かね)ねて、障子越(しやうじご)しに(たしな)ました。


【語彙説明】

〇おびんづる野郎 ・・・ 醜い顔をののしって言う語。

 御賓頭盧(おびんずる)様は、十六羅漢の第一で白頭(はくとう)長眉(ちょうび)をそなえる。

〇燒(やき)が廻(まわ)つた/焼が廻った ・・・ 1. 焼き入れの際の火が行き渡りすぎて、かえって刃物の切れ味が悪くなる。

 2.〔1.から転じて〕頭の働きや腕前が落ちる。年をとるなどして能力が鈍る。

〇お仕舞(しまい)の手 ・・・ 化粧をする手のこと。

〇怨(えん)ずる ・・・ うらみごとを言う。

〇窘(たしな)め ・・・ 良くない点に対して注意すること。非礼・不作法などを軽く𠮟ること。



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