『銭形平次捕物控』 「血潮の浴槽」 一 (ちしおのよくそう) 著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


 江戸時代、銭湯を湯屋(ゆや)と呼びました。

 皆さんご存知と思いますが、「三助(さんすけ)」と呼ぶ仕事がありました。

 男女を問わず客の背中を流したり、風呂炊きなどが役目です。

 この仕事、なかなか年季が()ったそうですね。


 『血潮の浴槽』では、「三助」を「ばんとう」と読ませています。

 恐らく、10年以上経験のある三助(さんすけ)で、湯屋全体を取り仕切っているからでしょう。

 謂わば、大店(おおだな)の番頭の意味。経営者ではない。


 「三助見習(さんすけみならい)」は昼間は(たきぎ)になる廃材や古木材を集め、夕方は客の脱いだ服や靴などを片付ける。

 「三助見習」から2年経つと釜焚(かまた)きに参加させてもらい、3年目に漸く入浴客の身体を洗う「流し」をさせて貰えて、

 「三助」と名乗ることができるようになる。

 しかし、一人前になるには更に7年以上の経験を(よう)したそうです。

 なるほど、「三助」を「ばんとう」とは言い得て妙ですね。


【本文】


 元飯田橋(もといいだばし)丁子風呂(ちょうじぶろ)の女殺しは、物馴れた役人、手先(てさき)もたった一目で胸を悪くしました。

 これほど残酷で、これほど巧妙で、これほど凄い殺人(ころし)は滅多にあるものではありません。

 少し順序を立てて話しましょう。

 滅法(めっぽう)暑かった年のことです。

 八朔(はっさく)から急に涼しくなりましたが、それでも日中は汗ばむ日が多いくらい、町の銭湯なども昼湯の客などは滅多にありません。

 わけても女湯はガラ()きで未刻(やつ)(午後二時)から申刻(ななつ)(四時)までに入る客というのは、

大抵決った顔触れと言ってもいいくらいでした。

 旗本のお(めかけ)のお才が出て、町内の金棒引――家主の佐兵衛の女房で、若くて少しは綺麗なのが自慢の――

お六が入ったのはちょうど未刻半(やつはん)(午後三時)、番台(ばんだい)に誰も居なかったので、

 「ちょいと、今日(こんにち)は。誰も居ないのかえ、気楽ねえ」

 そんな事を言いながら、着物を脱いで、少し乾いた流しを爪先歩きに石榴口(ざくろぐち)から静かに入りました。

 そこまでは無事でしたが、間もなく、

 「あッ、た、大変ッ」

 お六は鉄砲玉のように石榴口から飛出すと、流しに滑って物の見事に()()りました。

 「どうなすったんです、御新造(ごしんぞ)さん」

 番台へ登ろうとしていた丁子風呂の(かみ)さんと、釜前(かままえ)に居た三助(ばんとう)丑松(うしまつ)は、両方から飛んで来てお六を抱き起こしました。


【語彙説明】

〇丁子風呂(ちょうじぶろ) ・・・ 銭湯の一種。江戸時代、丁子の香をつけた湯をたてたもの。丁字湯とも書く。

〇八朔(はっさく) ・・・ 八月朔日(はちがつ-ついたち)の略で、旧暦8月1日のこと。新暦では8月25日頃から9月23日頃までを移動する。

〇未刻(やつ/やつどき/ひつじ) ・・・ 未の刻(ひつじのこく)。現在の午後2時から前後2時間頃を指す。24時間を十二支に割り当てたうちの第8番目。

〇申刻(ななつ/ななつどき/さる) ・・・ 申の刻(さるのこく)。現在の午後4時から前後2時間頃を指す。24時間を十二支に割り当てたうちの第9番目。 <十二時辰


〇石榴口(ざくろぐち) ・・・ 江戸時代の銭湯で、浴槽の前方上部を覆うように仕切り、客がその下を腰をかがめてくぐり抜けて浴槽に入るようにした入口のこと。<詳細

〇お神(かみ)さん ・・・ 湯屋(銭湯)の内儀。経営者の妻であろう。「女将」と書くと全体を取り仕切っている印象があるので、それを避けたのだろう。湯屋で全体を取り仕切っているのは、年季の入った三助である。

〇三助(ばんとう) ・・・ 三助(さんすけ)を「ばんとう」と読ませているのは、10年以上経験のある三助(さんすけ)で、銭湯(湯屋)全体を取り仕切っているから。謂わば、大店の番頭(ばんとう)の意味。



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