『銭形平次捕物控』 「橋場の人魚」 一 (はしばのにんぎょ) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
小説は熟落語だなあ、と思いますね。
漱石の『吾輩は猫である』『三四郎』なんかも、あれは落語です。
明治時代では斬新で大衆受けしたんじゃあないでしょうか。
野村胡堂の『銭形平次』なんか、八五郎と平次は、落語によく登場する ―― 熊さんと隠居 ―― そのものですね。
いつの間にか、二人の会話を愉しみにしてしまう。
【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。
八五郎の顏の廣さ、足まめに江戸中を驅け廻つて、いたるところから、珍奇なニーユス(ニュース)を仕入れて來るのでした。
江戸の新聞は落首と惡刷であつたやうに、江戸の諜報機關は、斯う言つた早耳と井戸端會議と、
そして年中何處かで開かれてゐる、寄合ひ事であつたのです。
「お早やうございます。良い陽氣になりましたね、親分」
八五郎と雖も、腹が一杯で、でつかい紙入に、二つ三つ小粒が入つて居ると、斯んな尋常の挨拶をすることもあります。
「大層機嫌が良いぢやないか、――お前の大變が飛び込まないと、――今日は大きな夕立でも來やしないかと、ツイ空模樣を見る氣になるよ」
「へツ、天下は靜謐ですよ、――親分におかせられても御機嫌麗はしいやうで」
「馬鹿野郎、御直參見てえな挨拶をしやがつて」
「親分の繩張り内はろくな夫婦喧嘩もねえが、三輪の萬七親分の繩張りには、昨日ちよいとしたことがあつたさうで」
「チヨイとしたこと――といふと」
平次に取つては、八五郎の『大變』よりは、この『チヨイとした事』の方に興味を惹かれるのです。
「橋場の金持の息子が、土左衞門になつたんで、一向つまらない話で」
「まだ櫻が散つたばかりだぜ、――泳ぎには早いし、金持の息子が、身投げするのも變ぢやないか」
平次はこの短かい報告の中から、幾つかの腑に落ちない點を見出して居るのです。
【語彙説明】
〇落首(らくしゅ) ・・・ 平安時代から江戸時代にかけて流行した表現手法の一つである。公共の場所、特に人の集まりやすい辻や河原などに立て札を立て、主に世相を風刺した狂歌を匿名で公開する。
〇惡刷/悪刷/悪摺(あくずり) ・・・ 江戸後期から、文人の間で友人の失敗や情事を風刺して版にすり、友人の間に配布して嘲笑の材料にしたもの。