『銭形平次捕物控』 「兵糧丸秘聞」 三 (ひょうろんがんひぶん) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
糸脈は、聞いたことありますねえ。微かに・・・
なるほど、高貴な御人の脈を診るのに、直接身体に触れない為に、糸を患者の手首に巻いたんですねえ。
【本文】
銭形平次はガラッ八を伴れて、時を移さず御納戸町の一色家に乗込みました。
一子綾乃助が曲者に跟けられたとすると、隠れてコソコソ探索する必要はなかったのです。
道庵は御典医ではありませんが、上様の御声掛りで、万一の場合は城中にも御呼出しがあって、
簾外から糸脈を引くことなどがあり、町医ながら苗字帯刀を許され、
御納戸町に門戸を張って、江戸三名医の一人と言われるほどの人物でした。
早く妻に死に別れて、家族一子綾之助と、その姉のお絹の三人きり、お絹は父の仕込みで、女ながら本草学に詳しい上、
世にすぐれて美しく生い立ちましたが、父道庵の注文がむつかしいので定まる縁もなく、二十歳の春まで、
白歯の美しさを山の手一円に謡われております。
【語彙説明】
〇跟(つ)ける ・・・ 人のあとについていく。
〇簾外(れんがい) ・・・ すだれの外。みすの外。
〇糸脈(いとみゃく) ・・・ 明治時代に近代医学を導入する以前に日本で行われていたとされる診察法。その身体に直接触れることが許されない高貴な人を医師が診察する際、脈を見る為に手首を糸に巻き、医師は離れた所で糸を伝わって来る脈を感じ取ったというもの。
〇白歯(しらは) ・・・ <昔、歯を黒く染めた既婚の女性に対して>未婚の女性。処女。
〇門戸(もんこ)を張る ・・・ 一家を構える。家の外観を立派にし、見栄(みえ)をはる。また、一流一派を立てる。