『銭形平次捕物控』 「大盗懺悔」 四 (だいとうざんげ) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
「矯めつ眇めつ」は聞いたことあったが、「矯めつ透しつ」は聞いたことなかった。
同じ意味だったんですね。
他にも、「矯めつ歪めつ」とも言うそうなんですね。
【本文】
それから三日目有名な茶人繁野友白のところへ忍び込んで、さる大名から預かった名物ものの茶碗を盗んだものがあります。
名物ものと言っても、それは祖先の誰某公が朝鮮役の功労で豊太閤から貰ったという由緒付きのもの。
伊達政宗がひどく羨んで、岩代半国と代えようと申込んだが、とうとう譲らなかったという、天下稀覯の大名物です。
<中略>
銭形の平次も三日詰め切りましたが、さて何の役にも立ちません。
風太郎の手口は百も承知ですから、風のごとく通って歩いた後を嗅いだところで何の匂いも残ってはいず、
この上は、例の通り品物を返しに来るのを待ち伏せて、有無を言わさず縛り上げる外はなかったのです。
風太郎が、ここの門を入りさえすれば、どんなに姿を変えていても、平次の捕縄を免れようはありません。
が、三日目の昼過ぎまで待ち呆けを喰わして、何の音沙汰もないのはどうした事でしょう。
いよいよ茶碗を返してくれなければ――と思うと繁野友白もはや生きた空もなかったのです。
未刻(二時)下がり、やがて申刻(四時)にも近かろうと思う頃、お勝手口へフラリ人の影がさします。
「それッ」
と行ってみると、見知り越しの隣の男の子、風太郎いかに神出鬼没の怪盗でも、こんなに小さくなれッこはありません。
「叔母様、これ粗末なものですが、皆さんで召上がって下さいって――」
言いつかった口上通りを取次いで、友白の妻の前に出したのは丼へ入れた饅頭。
「それは御丁寧に有難うございました」
取り込んでいるので、気を利かしてお茶受けを持って来てくれたのだろう――そんな事を考えながらヒョイと見ると、饅頭を入れた丼と見たのは、三日前に盗まれた名物の茶碗。
「あッ、これはどうだ」
そこへ来合せた友白は饅頭を投り出して、茶碗を掻い抱くように、右から左から、ためつすかしつ、鵜の毛で突いたほどの疵も見落さずと調べています。
「坊っちゃん、ちょいと待った」
平次は飛付いて、危うく隣の子を押えました。
「好い子だ、あの饅頭はどこから持って来たか、教えておくれ」
「おいらのせいじゃないや、放しておくれよう」
【語彙説明】
〇生(い)きた空(そら)がない ・・・ 恐ろしさや苦しみのあまり生きている気持ちがしない。生きた心地がしない。
〇ためつすかしつ/矯(た)めつ透(すか)しつ ・・・ あるものを、いろいろの方面からよく見るようす。じっと見たり、片目を細めて見る。「矯(た)めつ眇(すが)めつ」「矯(た)めつ歪(ひず)めつ」とも言う。
〇鵜(う)の毛(け)で突(つ)いたほど ・・・ きわめて微細なことのたとえ。ほんの少し。「―のすきもない」などと使う。「兎(う)の毛(け)」とも書く。