『銭形平次捕物控』 「受難の通人」 五  (じゅなんのつうじん) 著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


 「左褄を取る」なんて、味がある表現だなあ、と思いますね。

 横文字が氾濫する中、こう言う古風な表現に出会うと嬉しくなる。


【本文】 註:旧かな正漢字で書かれています。


 そのうちに、猿屋町の小唄の師匠お角が、大びらに丸屋の源吉に(かこ)はれることになりました。

 女房が死んで百ヶ日も(いとな)まないうちに、後添(のちぞえ)の話でもあるまいと言ふのと、お角には先の亭主の子で、

四つになる幸三郎といふ(せがれ)があるので、いづれ年でも明けたら、幸三郎を里にやつて、丸屋の後添に納まるだらう

――といふのが、界隈(かいわい)の噂でした。

 お角は二十四五の年増盛り、柳橋で左褄(ひだりづま)を取つてゐる頃から、江戸中の評判になつた女で、

その濃婉(のうゑん)さは(したゝ)るばかりでした。

 源吉は死んだ(こい)女房のことも忘れ、通と意氣との見榮も捨てて、たゞもう愚に返つたやうに、日が暮れるのを合圖(あいづ)に、猿屋町に入り(びた)りました。


【語彙説明】

○大びら ・・・ 「大っぴら」

○左褄(ひだりづま)を取(と)る ・・・

 《芸者が左手で着物の(つま)を取って歩くところから》 芸者勤めをすること。芸者になること。


   



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