『銭形平次捕物控』 「結納の行方」 一 (ゆいのうのゆくえ) 著:野村胡堂 より一部抜粋


【還暦ジジイの解説】


一昔前は「田舎者(いなかもん)」とか、略して「イモ」とか、地方出身者を馬鹿にした言葉があった。

私も田舎出身なので、そう言われるのが(いや)だった。

そして、如何に言われない様にするか苦心した。

しかし、今から考えると、なんとツマラナイことに(こだわ)ったのか、と後悔している。


「田舎者」と言われたくない意識は、同時に、田舎の友達を裏切っていたのである。

それでいて、自分は垢抜(あかぬ)けていたかと言うと、やはりどこか田舎臭さが残っていたのである。

結果、実に、情けない、中途半端な人間に成り下がったのである。


都会人からも田舎の友達からも軽蔑される人間に成った。

現代も江戸時代も、人間の心情って変らないような気がします。


どんなに陰口を叩かれようが、胸を張って浅黄裏を着て、泰然自若、威風堂々として居れば、格好良かったのである。

あははは


【本文】 註:旧かな遣い、正漢字で書かれています。


(八五郎) 「不景氣と言や、親分、近頃錢形の親分が錢を投げねえといふ評判だが、親分の(ふところ)具合もそんなに不景氣なんですかい」

(平次) 「馬鹿にしちやいけねえ、(かね)は小判といふものをうんと持つて居るよ。それを(はふる)やうな強い相手が出て來ないだけのことさ」

 「へツ、へツ」

 「いやな笑ひやうをするぢやないか」

 「その強さうな相手があつたら、(どう)うします、親分」

 「又ペテンにかけて俺を引出(ひきだ)さうと言ふのか、その強さうな相手といふのは誰だ、――次第によつちや乘出さないものでもない」

平次は起直りました。

 春から大した御用もなく、巾着切(きんちやくきり)や空巣狙を追ひ廻させられて、錢形の親分も少し腐つてゐた最中だつたのです。

 「品川の大黒屋常右衞門――親分も知つてゐなさるでせう」

 「石井常右衞門の親類かい」

 「そんな氣のきかない淺黄裏(あさぎうら)ぢやない、品川では暖簾(のれん)の古い酒屋ですぜ」

 「フーン」 


【語彙説明】

〇浅黄裏(淺黄裏)/浅葱裏 (あさぎうら) ・・・ 緑がかった薄い藍色(浅葱色)の木綿を使用した着物の裏地のことである。

 江戸時代に国表から江戸表に参勤した野暮な田舎侍や下級武士を揶揄して浅葱裏と言った。

 実用性に富むことから、江戸時代に江戸庶民の間で一時流行した浅葱木綿の着物であったが、流行が廃れても田舎侍や生活が困窮していた下級武士などが羽織の裏地に浅葱木綿を使っていた。

 江戸っ子の粋(いき)とは反対で、表地だけ豪華に見えるが実際は粗末な服という意味の隠語である。

 とくに江戸の遊里吉原では、浅黄裏で登楼する流行遅れの頑迷野暮(がんめいやぼ)な遊客の典型である田舎侍に対する蔑称(べっしょう)でもあった。


 従って、「そんな氣のきかない淺黄裏ぢやない、品川では暖簾の古い酒屋ですぜ」は、「そんな気の利かない野暮な田舎者じゃあない、品川では古くからの江戸っ子の酒屋ですぜ」の意味であろうか。

 意訳すると、「地方から出てきて、昨日今日始めた店じゃない、生粋の都会人の酒屋ですぜ」となるか。



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