『銭形平次捕物控』 「大盗懺悔」 一 (だいとうざんげ) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
『銭形平次』の朗読で、「私は」と書いてあれば、江戸っ子弁で「あっしは」と、
「帰る」と書いてあれば、「けえる」と、「ございません」と書いてあっても「ござんせん」と、読む。
登場人物に合わせているのである。
なるほど~、上手いなあ、と思わず膝を打った。
【本文】
人間業では盗めそうもない物を盗んで、遅くとも三日以内には、元の持主に返すという不思議な盗賊が、江戸中を疾風のごとく荒し廻りました。
(南町奉行付、与力筆頭笹野新三郎が平次に尋ねます。)
「平次、御奉行朝倉石見守様から厳い御達しだ――近頃府内を騒がす盗賊、
盗んだ品を返せば罪はないようなものであるが、あまりと言えばお上の御威光を蔑ろにする仕打だ。
明日とも言わず、搦め捕って来い――と仰る、なんとか良い工夫はあるまいか」
〔中略〕
(笹野)「女泥棒だというが、本当だろうな」
(平次)「それも当てになりません。盗んだ品を返しに来るのは、目の醒めるような美しい新造だって言いますが、それが盗むにしちゃ、手際が良すぎます」
「と言うと」
「鍵や錠を苦もなく外すのはともかくとして、一丈も一丈二尺もある塀を飛越したり、
長押を踏んで座敷へ忍び込んだり、とても女や子供に出来る芸当じゃございません」
「フーム」
笹野新三郎も、銭形の平次も、近頃人も無気に出没する怪盗 ―― 風のごとく去来するから世間では風太郎と言っておりますが ―― には全く手を焼いてしまいました。
「たった一つ、仕残した手段がございます」
「どんな事だ」
「謀事は密なるを要すって申しましょう。もう二三日お待ち下さいまし」
「ハッハハハハハ、平次は思いの外学者だな」
【語彙説明】
○新造(しんぞ/しんぞう) ・・・ 武家や富裕な町家の妻女。のち、一般に他人の妻女、特に若妻をいう語。
○一丈二尺(いちじょうにしゃく) ・・・ 尺貫法の長さ。丈(じょう)、尺(しゃく)。
1丈 = 10尺 ≒ 約 3m。 1尺 = 10寸 ≒ 約30cm。 よって、一丈二尺は3m60cm。
○長押(なげし) ・・・ 部屋の壁に取り付けてある木の板のこと。
和室の壁面の鴨居のすぐ上の位置に、ぐるりと囲むように取り付けられる化粧部材。
○無気(なげ)に ・・・ なさそうなようす。
「人も無気に」とは、「人間技とは思えない」の意味であり、今回の場合は「猫のような身の軽さに加え、頭が良い」の意味だろう。