『銭形平次捕物控』 「瓢箪供養」 四 (ひょうたんくよう) 著:野村胡堂 より一部抜粋
【還暦ジジイの解説】
「枡の角から呑む」とはどう言う意味か?
江戸時代の言葉なんですねえ。
今みたいに一升瓶とか紙パックなんて無い時代です。
量り売りだったんです。
店名や商標等を書いた通徳利を酒屋が貸し出していて、中身の酒が無くなったら、空の徳利を抱えて再び酒屋へ出かけた。
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このやり方だと瓶や紙、プラスチックなどの廃棄物が発生しない。地球に優しい。しかも、お客の固定化ができる(笑)
家で呑むときは、一合か二合の徳利ですよね。
通徳利は、五合から二升ぐらいの大きさまであったようです。
家来などを従える武家屋敷や大店では、樽で購入します。
樽は一斗(いっと)樽とか、四斗樽なんで呼びますよね。 一斗=十升=18リットルです。
なので、通徳利のことを「貧乏徳利」。または、容量が一升未満を「貧乏徳利」と呼んだとか。
通徳利を抱えて酒屋へ行くのは、嫁さんか娘だろうな、と、想像しますね。
ところが、偶に旦那が酒屋へ足を運ぶことがある。
酒屋の店員が枡で量りながら通徳利へ容れるんですが、呑兵衛の男はそれを眺めていて、喉が鳴る。
解るなあ~。ははは。
すると番頭さんが出てきて、「いつも御贔屓に有難うございます」と、小振りの枡で、男に一杯サービスする。
キャーッ!
嬉しい~♪
枡で呑んだ方は解ると思いますが、溢さないように呑もうとすると、枡の角に唇を当てますよね。
急ぐからです(笑)
行儀の良い正しい呑み方は、枡の平らな辺から、ゆっくり呑むことなんだそうです。
接待の席で、ビールが、待ち切れない。
我慢できずに、乾杯の音頭や、挨拶そっち除けで、つい、グラスに口を当ててしまう。
あるいは、出された料理の味なんか二の次三の次、相手の話は上の空、徳利を手に独酌(笑)
要するに、「枡の角から呑む」は、
お酒に目のない呑兵衛に「行儀が悪いよ」または「お酒にしか興味がないんだなあ」と揶揄したものなんですね。
【本文】 註:〔〕内は原文にありません。
(四)
(八五郎)「第一に解らねえのは、死ぬ覚悟をした人間が、何だって瓢箪供養なんて、手数のかかる事をしたんだろう」
(平次)「何十年の間大事にしてきた、三十六の瓢箪を、自分と一緒にこの世から暇乞をさせたかったのさ。酒好きの考えそうな事だよ」
(八五郎) 「ヘエー、そんなものかなア、俺なんか酒は嫌いじゃねえが、まだ瓢箪と心中する気になったことはねえ」
(平次) 「枡の角からばかり呑むからだよ」
(八五郎) 「違えねえ」
八五郎は掌で額を叩きました。
正に一言もない態です。
(平次) 「そこで一つ、駒三郎か元助に、これだけの事を訊いてくれ、瓢々斎は瓢箪を供養するのに、無瑕のまま埋めたか、それとも後で掘り出して使わないように、いちいち割るか切るかしたか」
(八五郎) 「ヘエ・・・」
【追記】
「枡の角から呑む」のも、一つの呑み方だ、と言う説もある様ですが、今回の場合は、邪道とさせて頂きます。
調べていて知りました。
枡の中にグラスを入れ、日本酒を溢れさせて注いで、提供する。
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「もっきり」と呼ぶそうです。
知らなかったなあ~
「盛り切り」がなまって「もっきり」となったとか。